松戸自主夜間中学開講2000回松戸市に公立開設訴え23年 |
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松戸市勤労会館で毎週火曜と金曜の夜に23年間行われてきた「松戸自主夜間中学校(自主夜中)」が2000回目の開講を迎えることになり、24日午後7時より同館ホールでジャーナリストの池上彰さんを迎え、記念公開授業を行う。自主夜中を運営してきた「松戸市に夜間中学校をつくる市民の会」では、多くの市民の来場を呼びかけている。 【戸田 照朗】 |
「市民の会」は、義務教育未修了者の学習の場として松戸市立中学校に夜間学級(夜間中学)を開設することを松戸市に求めてきた。自主夜中はその実践の場として開講してきたもの。23年前の1983年8月2日に生徒6人、スタッフ12人でスタート。今までにのべ1300人もの人が同校で学んできた。多いときには70人以上、少ないときには30人程度の人たちがこの民間の学舎に集う。 松戸市に夜間中学を作る運動が起きたのは、79年2月。77年に隣の市川市で夜間中学を作る運動が始まったことに応じたものだった。その後市川市では、当時の高橋国雄市長が開設に前向きな姿勢を見せたこともあり、82年4月に市立大洲中に夜間学級が開設した。しかし、松戸市では運動が実らないまま年月を重ね、千葉県では、今でも大洲中夜間学級が県内唯一の夜間中学となっている。 松戸市では03年から「社会教育の場」として青少年会館に基礎学力再履修講座を開設した。これは、長年続く「市民の会」の運動に対して、松戸市としても何らかの動きを見せざるをえなくなったものと思われる。当初は「市民の会」との意見交換の機会も、という話もあったが、実施されたことはない、という。 自主夜中に通う生徒は、戦争などで就学の機会が奪われた高齢者や不登校をしている子どもたち、障がいのある人、中国帰国者、在日韓国・朝鮮人、その他の外国人などだ。開講した83年当初は高齢者が多かったが、すぐに不登校をしている中高生が増えはじめ、多いときで半数を占めたという。70年代後半、「荒れる中学」と言われたように、校内暴力やいじめ、登校拒否(不登校)など学校の問題が表面化。自主夜中の生徒の構成も、これを反映するものだった。中国残留孤児の帰国事業で帰ってきた残留孤児本人やその家族が通ったこともある。東南アジアや南米からの出稼ぎ労働者の家族なども増えてきた。 不登校も受け入れて05年4月現在、全国8都府県に35校の公立の夜間中学がある。大阪11、東京8、神奈川6、奈良3、兵庫3、広島2、京都1、千葉1校だ。総在籍者数は昨年9月現在で2587人。夜間中学のある地域が偏っているため、引っ越しをするなどして通う生徒もあり、負担となっているという。日本弁護士連合会(日弁連)では、今年8月に意見書を文部科学省や自治体の教育委員会などに提出し、義務教育を受ける機会が実質的に得られていない人について、速やかに実態調査を行うこと、設置の必要性が認められる地域に対する財政的措置、自主夜中を運営する民間グループへの支援などを求めている。 また既存の公立夜間中学や、開設運動をしている人たちにとって、大きなネックとなっているのが、不登校経験者が入学の資格者から外れてしまうという問題だ。中学校に3年間で1日も通わなかったとしても、卒業証書を発行することを俗に「形式卒業」という。学校としては、生徒の将来を考えての措置ということになろうが、公立夜間中学で学び直そうとする場合には障害になる。つまり、形式的にも義務教育を終えているわけで、公立の中学では入学が認められないのだ。しかし、自主夜中でも生徒の多くは不登校経験者。実質的な学力をつけようと望む子どもたちは多いはず。いじめを苦にした自殺や高校での履修不足の問題など、学校教育が再び問われている現在。不登校経験者が学び直す場としての、公立夜間中学の入学資格の弾力的運用も議論されるべきだろう。 生徒、スタッフ募集松戸自主夜間中学校では、生徒とスタッフを募集中。毎週火曜と金曜の午後6時から9時まで、松戸市勤労会館で開講中。授業は、算数、国語、理科、社会、音楽、美術、英語、韓国語などの一斉授業と、個人対象の個別授業を行う。夏のキャンプや文化祭などの楽しい「学校行事」もあり。 特に、中国語、日本語の両方を話せるスタッフを急募。問い合わせは、1341・4704藤田さんまで。 |
池上彰氏講師に記念授業「市民の会」が運営する「松戸自主夜間中学」が開講2000回目の授業として、ジャーナリストの池上彰さんを招いて記念公開授業を24日午後7時より、松戸市勤労会館ホールで行う。入場は無料。池上さんは、1950年、松本市生まれ。慶応大卒。NHKに記者として入社。90年「ニュースセンター845」キャスター。翌年「イブニングネットワーク」キャスター。94年からは「週刊こどもニュース」にお父さん役として出演し親しまれた。昨年3月に退職し、現在はフリー。24日は、「世界地図から違った世界が見える」と題して授業を行う。 |
秋の夜長に宇宙
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日本からも大勢の観光客が訪れるハワイ諸島。その中の「ハワイ島」では、世界最高レベルの星空を満喫できる。島の中央には標高4000メートルを超す「マウナ・ケア山」があり、その山頂には世界最先端の天文台が軒を連ねる。 その山で私は、一度だけ満天の星を見た。辺りは街灯一つなく、ライトで照らさなければ自分のつま先さえ確認できない暗闇。だが、目が暗さに慣れるにつれ、自分の影が地面に投影されているのに気づいた。 ハワイ島上空に輝く3000を超す星々が、自分の背中を照らし出す。まさに「星明かり」が実感できた瞬間だ。 松戸のような首都圏の都市では、街明かりが邪魔して、満天の星どころか、せいぜい確認できる星は数十個。なんとも寂しい気持ちにさせられる。 ☆オリオンの悲劇そんな夜空でも、星は私たちに様々な表情を見せてくれている。 これから冬にかけては特に「オリオン座」に注目してほしい。この星座は、ギリシャ神話の傲慢な狩人がモチーフだ。 オリオンは自分が世界一強いと豪語する。しかし、その言葉を不快に思った神の怒りを買ってしまう。結局オリオンはその神が放った小さなサソリに刺され、命を落とすことになる。 少し寂しさの残る伝説とは裏腹に、この星座には「ベテルギウス」や「リゲル」といった星がひときわ目立って輝いている。 オレンジ色に輝くベテルギウスは、老齢期の星で、その表面温度は3000度と恒星(※)の中では低い。一方、青白いリゲルは若く巨大な星で、表面温度はおよそ1万5000度でベテルギウスよりもかなり高温だ。 ちなみに黄色く見える太陽の表面は約6000度。星の色と表面温度には一定の関係がある。 また星に「若い」や「老齢」など人間的な表現を使うのには、ちゃんとした理由がある。 オリオン座にはベテルギウスやリゲルのほかに、「星のゆりかご」とも呼ばれる「オリオン星雲」がある。ここではいくつものも星が誕生している。 星は星雲から生まれ、やがて独り立ちして精いっぱい輝き、時期が来るとその一生を終える。 ☆重い星は短命星の寿命は様々。100万年に満たないものから、数千億年も生き延びる星もある。 寿命を左右するのは「質量」。地球上に住む私たちが理解しやすい言い方をすれば、星の「重さ」ということになる。重い星は短命で、軽い星は長生きだ。 重い星は短命だが、その輝きは半端ではない。太陽の100倍程度の質量であれば、その表面温度は5万度を超え、太陽とは比較にならない明るさで輝く。さらに一生の最期には「超新星爆発」を起こし、一瞬で太陽の一生分に匹敵するエネルギーを放出する。 これに対し太陽の半分ほどの軽い星は、その輝きは太陽より劣るものの、1000億年以上も輝き続ける。 「太く短く。細く長く。」 思わず、人生を例えるそんな言葉を思い出してしまう。 ☆太陽の最期我々の太陽は、どのような最期を遂げるのか――。 毎日安定した輝きを見せる太陽だが、数十億年後の晩年には大きな変化が訪れる。 太陽の寿命はおよそ110億年と推定され、生まれてから既に50億年が経っている。残りの寿命は60億年ということになる。 太陽は最期を迎える直前、地球はおろか、火星までも飲み込むような大きさに膨れあがる。さらに表面は赤く輝き「赤色巨星」と呼ばれるようになる。 その後は、外層をゆっくりと周囲へ放出して「惑星状星雲」(左下写真参照)を形成。中心には、地球の大きさ程度まで縮んだ太陽の芯が、「白色矮星(はくしょくわいせい)」となって残される。これはいわば、太陽の燃えかす。わずかに輝いてはいるが、その輝きも時間と共に失われていく。 ☆星たちの輪廻星が一生を終えた残骸は、やがて星雲となり宇宙へ還る。星雲からは、長い時間を経て、また新たな星が誕生する。 このように、宇宙の物質は星を介して循環し、星は生と死の輪廻を繰り返す。 実は私たちの身体をつくっている炭素やミネラルも、星の中でつくられた物質。人間はまさに「宇宙の一部」なのだ。
※恒星 自ら輝く太陽のような星。中心部は1000万度を超え、核融合反応が起こっている。その反応が、恒星のエネルギー源となっている。 |
太宰一(だざい・はじめ) プラネタリウム解説員・天文ライター。現在、都内のプラネタリウムで解説員を続ける傍ら、月刊「星ナビ」などの取材記事を手がける。
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大学〜駅を「花回廊」に園芸学部生と市民がプロジェクト |
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戸定の丘のふもとの道を花で飾ることができたら−−。 千葉大学園芸学部の学生と地域住民が、同大学から松戸駅までの通りを、花や緑で飾る計画を一緒になって進めている。今月3日には、「花回廊の構想絵地図づくり」に向けたまち歩きをおこない、どのような花回廊を目指すのかなどを話し合った。 同大園芸学部では、松戸・柏の葉地区環境ISO学生委員会を立ち上げ、3年後の同学部100周年に向けて、花プロジェクトを進めている。このプロジェクトが、キャンパスから松戸駅までの通りを花で飾ろうというもので、この計画に賛同した地域住民と月1回ほどのペースで話し合いをおこなっている。話し合いに参加している地域住民はまだ少なく、計画も構想段階だが、今年は同学部内に花のプランターなどを置き華やかに、それを地域に広げていきたいとしている。 この日のまち歩きには、学生と地域住民、市民など約20人が参加。キャンパスから駅までの区間を3ブロックに分けて、参加者は6〜7人のグループになり、各ブロックを歩いた。参加者は、道路から見える花や緑、玄関先をきれいな花や緑で飾ってある家や庭を見たり、そこに住む人の話などを聞き、「この花いいわね。何て言う花なのかしら」「ここの空き地はもったいないわね。花を植えたらきれいになるのに」などと話し合い、まち歩き後にはキャンパスに戻り、グループごとにまち歩きで発見したことなどを報告しあった。 ISO学生委員会リーダーの真壁壮さん(2年)は「今年はまず、目で楽しめるキャンパスづくりに取り組みたい。そこから地域に広げられれば。そのためには、園芸学部から苗を提供して飾ってもらうなどいろいろ方策はあると思う。何より地域の人と話し合い、より良いものにしたい」と話していた。 【竹中 景太】 |
小学生がラグビー体験向山選手が八ヶ崎小で「Do!スポーツ」 |
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各スポーツ界を代表するトップアスリートが小学校を訪問し、スポーツプログラムを通して子どもたちに一流の技と心を楽しく指導する「こどもスポーツ体験プログラム『Do!スポーツ』〜憧れのトップアスリートが小学校へやってくる!〜」(読売新聞東京本社主催、ジブラルタ生命保険特別協賛)が先月30日、八ヶ崎小学校でおこなわれた。この日、同小を訪れたのは、日本代表経験もあるラグビー選手の向山昌利さん(NECグリーンロケッツ)で、6年生108人にラグビーボールを使って指導した。 体験プログラムでは、まず向山選手が「ラグビーは、痛い、激しいスポーツというイメージをもっていると思いますが、きょうはボールを使って楽しく練習していきたいと思います。きょう、ラグビーを楽しいと思った人は先生にお願いして、体育の時間にでもラグビーをやってもらえるとうれしいです」などとあいさつ。このあと、さっそくラグビーボールを使って、横一列になってパスをまわしたり、ボールを持った人が鬼となり逃げる人にタッチする「鬼ごっこ」などの練習に取り組んだ。 子どもたちは、初めて触れるラグビーボールに悪戦苦闘しながらも、終始笑顔でラグビーを体験。練習後は、汗をぬぐいながら「疲れたけどおもしろかった。体育の時間にもやりたい」などと話していた。 今年の「Do!スポーツ」は、千葉・埼玉・神奈川の3県・15校で実施。ラグビーのほかにバレーボール、サッカー、バスケットボール、陸上、アメリカンフットボールの体験プログラムがおこなわれている。 【竹中 景太】 |
きょう最終戦江戸川早朝野球結果 |
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リーグ戦も中盤に市ジュニアソフト |
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松戸市ジュニアソフトボール連盟(藤咲安男会長)主催による、市長旗争奪「第62回松戸市ジュニアソフトボール連盟大会」(松戸よみうり新聞社後援)は、中盤戦に入り、各リーグで熱戦が続いている。5日までの試合結果は次の通り。
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