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バックナンバータイトル662号

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松戸の古寺巡礼

市内60か寺を訪ねる旅

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新年号の企画を考えるために本屋をのぞいてみる。雑誌の棚には、いくつか仏像や古寺を特集したものがあった。そういえば、昨年末、NHKは「にっぽん 心の仏像 100選」を放送。どこか殺伐とした空気が流れる昨今、心なごむ場所として、人々が寺や仏像を求めているのだろうか。そこで、松戸市内にある約60か寺を巡ってみることにした。「あじさい寺」として有名な平賀の本土寺、しだれ桜が美しい小金の東漸寺、「仁王の股くぐり」で有名な馬橋の萬満寺はよく知られているが、他にはどんな古寺があるのだろうか。ここに紹介するのは、あくまで記者の好みで選ばせていただいたものでほんの一部にすぎない。また、まち歩きのガイドマップ「わがまちブック」を発行しているNPO法人まちづくりNPOセレガ理事長の小池 爾さんと、松戸シティガイド代表の石上瑠美子さんにも好きなお寺をあげていただいた。

【戸田 照朗】

山寺の雰囲気が漂う根木内の了源寺(上・下)。

 

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山寺のような了源寺

記者が今回一番好きだなぁと感じたのは、根木内の了源寺。創設は寛文年間(1661〜72)という日蓮宗のお寺だ。県道57号線(鎌ヶ谷松戸線)から少し入ったところにある。近くには宮ノ後遺跡の標柱があり、住宅街の中の坂道を下ると左に竹林、そして境内がある。決して山の中ではないのに山寺の趣がある。小さな本堂の左手に小山があり、鳥居をくぐって登ると小さなお宮がある。ここから本堂を眼下に望むことができる。このお寺を訪れた日は、ちょうど雨上がりで、しっとりとした空気のなか、しばし落ちついた気分になった。

門を出ると右側に羅漢像が並んでいる。どの像も丸っこくデフォルメされていて実にかわいらしい。古いものなのだろうか、石が苔むしていた。

お寺めぐりをしていて一つ残念なのは、本堂の扉はだいたい閉められていて、御本尊のお姿を拝見できることがめったにないこと。しかし、石仏の場合は寺の外や路傍にあるため、いつでも見ることができる。小池さんも「わがまちブック」(まちづくりNPOセレガ発行)の中で触れているが、松戸は石仏や庚申塔が多いところだという。それだけ古い町だということなのだろう。こうした石仏や庚申塔を見るのも一つの楽しみ方である。

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山寺の雰囲気が漂う根木内の了源寺(上・下)

▲山寺の雰囲気が漂う根木内の了源寺(上・下)

 

  スペース 門前にあるかわいらしい羅漢像

▲門前にあるかわいらしい羅漢像

 

心なごむ路傍の石仏

お寺ではないのだが、私が印象に残っている石仏は幸谷の「斬られ地蔵」だ。12年に一度、牛年の4月18日にご開帳があるという「黒観音」(十一面観音)がある福昌寺と幸谷観音を参拝して、JR武蔵野線の上にかかるコンクリートの橋をわたって左に行くと2つの地蔵が向かい合って立っている。「斬られ地蔵」と、もう1つが庚申塔をかねた地蔵のようだ。

「斬られ地蔵」の伝説とは、竹やぶに出る白衣の妖怪を斬り付けたところ、手応えがあり、翌日幸谷で傷を受けて倒れている地蔵を発見した、というもの。しかし、私はこれが有名な「斬られ地蔵」だとは知らず、 近くの「関さんの森」に取材に行く際に、なぜかこのお地蔵様に心惹かれ、お参りしていた。風雨にさらされ、お顔などはだいぶ磨耗(まもう)しているが、どこか素朴で愛着を感じるお姿である。

慶安3年(1650)の市内で現存する一番古い庚申塔が残る古ヶ崎の圓勝寺の参道入り口にも向かい合わせに2体の石仏があった。こちらも素朴なお姿がいい。

また、お寺の入口や、お墓の入口など「境」になるところには六地蔵が並んでいることが多い。昔は村の境にも置かれていたという。これは寺や墓がこの世とは別の世界だという意味もあるようだが、それぞれにお姿が違うので、お寺ごとに見てみるのも面白いかもしれない。

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スペース 幸谷の「斬られ地蔵」

▲幸谷の「斬られ地蔵」

 

緑が豊かなお寺

市川市との市境に近い栗山の本久寺は、地図によると栗山浄水場のすぐ近くのようだが、なかなか見つからない。浄水場の先の松戸に残された貴重な緑のひとつである、矢切の斜面林の中の細い階段を下ると日枝神社があり、その隣が本久寺だった。地図には斜面林が描かれていないので、気がつかなかったのだ。元和7年(1621)、あるいは元禄3年(1690)開創との説もある日蓮宗のお寺である。背に豊かな斜面林の緑が映える静かなたたずまいが印象に残った。

文政8年(1825)に新田開墾者が開創したという祖光院(曹洞宗)は、金ヶ作自然公園の向かいにあり、道路を走っていると林の中に境内が現れるといった感じだ。やはり、緑が豊かな境内というのは趣がある。

秋山の慶国寺境内の大きな銀杏

▲秋山の慶国寺境内の大きな銀杏

 

民家のような大橋の浄念坊

▲民家のような大橋の浄念坊

 

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静かで素朴な寺

まちづくりNPOセレガの小池さんが紹介してくれた秋山の慶国寺は、聖徳大学附属小学校と中・高校の間の道を真っ直ぐに行くと突き当たる山の中腹にある。近くには古い大きな民家や秋山湧水もあり、ひっそりとしていた。

慶国寺の参道と道をはさんで一直線につながる感じで春日神社がある。春日神社の境内は一段高くなっていて、ここからは慶国寺とその向こうには斜面林が見える。緑の多かった頃の昔の松戸を思わせる風景である。慶国寺は暦応2年(1339)開基という。初め真言宗のお寺だったが、後に日蓮宗に変わった。

境内には市の保護樹木となっている大きな銀杏の木が門の近くに立っている。今は葉がないが、新緑の頃や、紅葉の頃はさぞ美しいことだろう。

ほかにも多くのお寺で保護樹木を見かけた。その大きさに圧倒されたのは大谷口の大勝院の銀杏の木である。秋にまた訪れてみたい。

大橋にある浄念坊も小池さんのおすすめ。近くに市川松戸道路が通る丘の上にある。地図には出ていないので最初は気がつかなかった。お寺というより民家といった趣で生活感がある。家の方にお断りしてお参りした。境内には石仏などが並んでいた。小池さんの好みは、こじんまりと素朴なたたずまいのお寺のようである。今回のお寺巡りでは、一見すると民家のようなお寺が他に2か所あった。

松陰ゆかりの本福寺

松戸シティガイド代表の石上瑠美子さんがすすめてくれたのは、上本郷の本福寺だ。このお寺は、小高い丘の上にあり、裏の墓地からは富士山も見える。南花島で幼少期を過ごした石上さんは、まだ緑の多かった昭和30年頃の松戸をよく覚えている。新京成線は、今でこそ平地にやや高く土を盛ったところを走っている感じだが、当時は丘や小山の間をぬうように、谷間を走っている感じだったという。それだけ、松戸には丘や小山が多かった印象があり、その丘の感じが本福寺から見る風景には残っているという。

本福寺は、松戸では唯一の時宗のお寺で、創建は嘉元元年(1303)とも元応元年(1319)とも言われる。本尊の阿弥陀三尊仏は市文化財である(下記「松戸の仏像」の項参照)。

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ここには、上本郷の七不思議の一つ、「斬られ地蔵」がある。この地蔵はもともと明治神社隣の覚蔵院にあった。昔、その境内で盆踊りがあり、突然、あやしい大男が入り込んできて巧みに踊りだした。これを見た一人の若者が怒って刀で斬りつけたところ、悲鳴をあげて姿を消してしまった。翌朝見ると寺内の石地蔵の胸に生々しい刀のきずあとがあったので、驚いて地にひれ伏してあやまったという。

また、本福寺の入口には「吉田松陰脱藩の道」という碑がある。吉田松陰は、嘉永4年(1851)、尊皇攘夷を説くために、江戸の長州藩邸を脱走し、松戸に来て本福寺に泊まり、東北地方を目指した。

吉田松陰と松下村塾の教え子・高杉晋作を主人公にした司馬遼太郎の小説『世に棲む日日』(文春文庫)には次のような一節がある。

「松戸に一泊した。宿は追手をおそれるがために旅籠をさけ、里人の紹介を得、わざわざ松戸の宿場から東北半里の山中にわけ入り、本郷村に入り、そこの本福寺という寺の山門をたたき、住職にたのみこんでとめてもらった。住職は了音(りょうおん)という時宗僧で、この見も知らぬ旅人を親切にもてなしてくれた。松陰はこの点、楽天家であった。ひとの好意を天性うたがえないたちであり、そういうたちが人柄の照り映えになって、ゆきずりの他人もついこの若者を可愛くなるのかもしれない」。

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スペース 本福寺の「斬られ地蔵」

▲幸谷の「斬られ地蔵」

 

吉田松陰も泊まったという上本郷の本福寺

▲吉田松陰も泊まったという上本郷の本福寺

 

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本福寺の境内に入ると、現在の佐藤徹住職が火を囲んで寺を訪れた人と談笑していた。とても気さくなご住職で、いろいろと話を聞かせてくれる。寺と方位の関係について熱心にお話していただいたのだが、記者の理解はまだ十分ではない(すみません)。本福寺は10年近く前にも取材させていただいたことがあるが、その時も同じように境内でお茶をいただきながら、近所のおばあさんたちと話を聞かせていただいた。なんとも、なごむ空間である。

本福寺の入口から右に斜面林を下りる小道がある。この道を下ると、カンスケ井戸という湧水がある。昔はこの道を通って丘の上に住む人たちが水を運んだという。

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住職と四方山話

ご住職といえば、小金原の安立寺(あんりゅうじ)を訪れた時のこと。年末で、大掃除の最中であったが、思わず飯塚泰信住職にお話をうかがうことができ、本堂に安置されている三十番神と子育・子安・鬼子母神をお参りすることができた。三十番神は、元禄6年(1693)に久保平賀の地頭だった小栗正武が地域の鎮守を祈願して祀ったものだという。安立寺は暦応4年(1341)に開山された日蓮宗のお寺。子育・子安・鬼子母神を祀って、大正末期までは広壮な伽藍が見られ賑わったが、昭和初年に大風で倒壊し、昭和37年に本堂が再建されたという。

ご住職は、以前はある会社で飛行機のジェットエンジンの製造にたずさわっていたという方で、その後、お父様の後を継いで仏門に入られたという珍しい経歴の持ち主。最先端の科学技術の世界から心の世界へと来られたわけだ。同僚は宇宙ロケットのエンジンの研究をしていたといい、「仏の世界は、宇宙よりも広いですから」と話されていた。退職後に同僚から贈られたという大分空港で運行していたホバークラフトのプロペラも見せていただいた。

今回の巡礼で訪れた寺の多くが、台風や火災などで本堂を失い、後に建て直している。真新しい近代的な建物というのは私の好みからすれば、あまり好きではなかった(門外漢の勝手な意見です)。身延の法脈を昭和36年に復興したという瑞雲寺は、「古寺」にはあたらないかもしれないが、全てが花梨材で建築されたという見事な伽藍だった。五香西の牧野原中と松飛台小の間にある日蓮宗のお寺である。

※参考文献=「わがまちブック」(まちづくりNPOセレガ発行)、「松戸の歴史案内」(松下邦夫)

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松戸の仏像

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お寺巡りをしていて少し寂しいな、と思うのは、ご本尊を安置してある本堂などはたいてい扉が閉まっていて、中の仏様を拝見することができないということ。お寺に頼めば拝見できるのかもしれないが、ふらっと訪れて、では難しいだろう。今回もお堂の中にはどんな仏様がいらっしゃるのかが気になった。そこで、国や市が文化財として指定している市内の寺の仏像を紹介する(写真は全て市教委社会教育課提供)。

【戸田 照朗】

阿弥陀如来坐像(萬満寺)

▲阿弥陀如来坐像(萬満寺)

 

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馬橋の臨済宗法王山萬満寺には国の重要文化財に指定されている木造金剛力士立像〈阿(あ)像、吽(うん)像〉2体と市指定文化財の阿弥陀如来坐像、鋳造魚藍観音立像、木造不動明王立像がある。

金剛力士は仏法を守る神で、仁王門の左右に配置されている。木造金剛力士立像はいずれも寄木造りで彩色、玉眼。鎌倉時代の仏師運慶の作と言われる。像高は阿像が257cm、吽像が240cm。大正15年(1926)の修復の際に吽像の体内の左腰下から文明6年(1474)7月上旬の修理時の墨書銘が発見された。春(3月27〜29日)と秋(10月27〜29日)の唐椀供養(とうわんくよう)の際には、有名な仁王の股くぐりも行われる。

阿弥陀如来坐像はヒノキ材を用いた寄木造り、漆箔(しっぱく)仕上げ。像高133cm。室町時代の作と言われる。

鋳造魚藍観音立像は中国明の時代(日本の室町時代頃)に製作されたと思われる中国渡来の金銅製仏像。像高24・5cm。右手の手かごの中に魚が1匹乗っている。

木造不動明王立像は、室町時代の作と言われる。像高125cm、玉眼、ヒノキ材の一木造り。

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真言宗龍鷹山光明寺の阿弥陀如来立像(市文化財)。光明寺は江戸時代の創立だが、阿弥陀如来立像の背面には応永23年(1416・室町時代)の銘がある。青銅製で像高44・5cm、台座14・5cm。背面の刻銘に信者と思われる人々の法名がある。

本福寺の阿弥陀三尊仏(市文化財)。青銅製で室町時代の作と言われる。真ん中に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至(せいし)菩薩の脇侍(わきじ)を従えている。この並びは一般に「善光寺式」と呼ばれる形式。像高は阿弥陀如来が43・5cm、脇侍は共に30 cm。阿弥陀如来の蓮座の内側に「於下総国……」の墨書がある。

普化宗金竜山一月寺の木造普化禅師立像木造金先禅師坐像(ともに市文化財)。時代劇にもよく登場する虚無僧(こむそう)の寺として発展した一月寺は、明治時代に廃寺になった後、昭和30年代まで寺の建物などはそのまま存在していたが、事情があり日蓮正宗の寺に譲り渡された。現在、一月寺の跡地には同名の日蓮正宗のお寺がある。仏像などは、市に寄贈され、市立博物館で見ることができる。木造普化禅師立像は像高32 cm。木造金先禅師坐像は像高36 cm。

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スペース 木造金剛力士立像・左から吽像、阿像(萬満寺)

▲木造金剛力士立像・左から吽像、阿像(萬満寺)

 

鋳造魚藍観音立像(萬満寺)

▲鋳造魚藍観音立像(萬満寺)

 

スペース 木造不動明王立像(萬満寺)

▲木造不動明王立像(萬満寺)

スペース 阿弥陀如来立像(光明寺)

▲阿弥陀如来立像(光明寺)

一月寺の木造金先禅師坐像と木造普化禅師立像(下)(市立博物館蔵)

▲一月寺の木造金先禅師坐像と木造普化禅師立像(下)(市立博物館蔵)

一月寺の木造金先禅師坐像と木造普化禅師立像(下)(市立博物館蔵)

スペース 阿弥陀三尊仏(本福寺)

▲阿弥陀三尊仏(本福寺)


本物の力士に歓声

上二小で卒業生が交流

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取り組みで2人がかりで力士を押す上本郷二小の児童

▲取り組みで2人がかりで力士を押す上本郷二小の児童

 

上本郷第二小学校でこのほど、今春卒業する6年生に良い思い出を、と市内にある相撲部屋の力士を招いての特別授業がおこなわれた。

この授業を企画したのは、同校保護者の会「卒業対策委員会」。市内に相撲部屋が2つもあるが子どもたちは力士を間近に見たことがない、きっと喜ぶはず、と学校側に提案して今回実現したという。

会場となった同校体育館に、市内八ヶ崎にある鳴戸部屋の力士3人が姿を現すと、児童からは「わぁー、大きい」「すげー本物だ!」の声。準備体操でも、力士がまたわりをすると「すごーい、やわらかい」などと歓声があがった。

このあと、児童と力士が一緒になって大なわとびや綱引きをしたり、相撲の取り組みも。綱引きでは、力士3人対児童12人でほぼ互角の戦いで、児童が16人に増えると、さすがの力自慢の力士も完敗。また、相撲の取り組みでは、児童1人では力士に歯がたたないため、児童2人対力士1人などでも取り組みをおこなうなど、児童と力士が交流を深めた。

取り組み後には、卒業対策委員会のお母さん方と児童でつくった「上二小特製ちゃんこ」が振る舞われ、力士を囲んで雑談を交わしながら、みんなで食べていた。

【竹中 景太】

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北総鉄道矢切駅で行われた本番さながらの訓練

▲北総鉄道矢切駅で行われた本番さながらの訓練

 

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化学テロ想定し

矢切駅で消防など合同訓練

北総鉄道ではさきごろ、松戸市消防局、松戸警察署、京成バスとの合同による「テロ災害発生訓練」を矢切駅でおこなった。

訓練は、走行中の車両内において化学剤を使用したテロ事件が発生したことを想定して実施。北国分〜矢切駅間を走行中の上り列車内で、北国分駅で下車した男性により車内にまかれた白い粉末が異臭を発生させ、乗客により通報を受けた車掌が現場車両を確認する、という場面から訓練は始まった。 スペース

参加したのは、同鉄道職員や消防局職員ら計124人。まず、空気呼吸器を装着した駅職員が旅客の避難誘導をおこない、それと同時に警察による避難誘導と現場周辺の立ち入り規制を展開。防毒服等で完全防護した警察、消防局の職員が共同で、車内や駅構内に残された負傷者の救助と搬送、化学剤で汚染された車両の汚染処理作業等をおこなった。

訓練は同鉄道運行中におこなわれたため、駅内にいた一般の乗客の中には、何事かと不安そうな顔をする人も。訓練後、同鉄道職員は「これまでにも事故や自然災害などの有事に備え、各種訓練をおこなってきたが、テロ災害を想定した訓練は今回が初めて。消防や警察など関係機関と合同でこのような実践的な訓練をおこなうことができた経験は大きい」などと話していた。

【竹中 景太】


285人健脚競う

小金新春マラソン

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小金新春マラソン

 

平成20年度第34回小金新春親子マラソン(同実行委員会主催、読売センター新松戸北部・報知新聞社協賛)が2日、小金北小発着コースで開催され、小学生から大人まで285人が健脚を競った=写真=。

各部門の優勝者は次の通り(敬称略)。

▼小学男子1〜3年(1K)=大沢怜也

▼小学女子1〜3年(同)=岡安穂香

▼小学男子4〜6年(3K)=荒木大広

▼小学女子4〜6年(同)=山崎美紗子

▼中学生女子(同)=熊谷希美

▼一般女子(同)=阿部和枝

▼中学生男子(5K)=戸田麻琴

▼高校生男子(同)=高瀬真司

▼一般男子(同)=小林渉