松戸よみうりロゴの画像

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲

バックナンバータイトル664号

都市に残る貴重な緑

斜面林を歩く

 

 

 

 

 

>>>斜面林の地図はこちら

スペース
矢切の斜面林

矢切の斜面林

スペース

NPO法人まちづくりNPOセレガ内に事務局がある「ぶらり探訪クラブ」が昨年12月5日と今月9日に、「下総台地の斜面林を歩く」と題してまち歩きを行った。矢切の斜面林などは、市内に残る貴重な緑。私も同クラブにならい、斜面林を歩いてみたいと思う(イラスト、地図ともにNPOセレガ提供)。

【戸田 照朗】

木がうっそうと茂るのどかな農道

▲木がうっそうと茂るのどかな農道(東葛病院近く)

スペース

斜面林とは

今回歩いたのは江戸川低地に沿った下総台地西縁の崖線に残る流山と松戸、市川の斜面林。下総台地は12〜13万年前に海の下から隆起して房総半島とともに誕生したという。下総台地の標高は20〜100mで、北に行くほど低くなっている。松戸市では32〜25mぐらい、流山市では25〜20mぐらい。北にゆくほど低地の標高も高くなるため、野田市を過ぎると下総台地はほとんど分からなくなってしまうという。

NPOセレガの小池 爾理事長は、今回のまち歩きのために資料を作成したが、「斜面林」という言葉の説明が辞書や専門書に見当たらなかったという。私の手元にある辞書にもやはりなかった。斜面林とは松戸の緑について語るときには、よく出てくる言葉なのだが、松戸市が昭和36年に発行した「松戸市史」上巻の「松戸の地形」という節にも見当たらない。同書には「大東京の衛星都市化の色彩をよりいっそう濃くしようとしている」と書かれているが、それでも掲載されている写真を見るかぎり、広大な田園や森林が残されているように見える。考えてみると、当時は斜面林を特筆する必然性もなかったのだろう。今、斜面林が目立つのは、低地も台地も宅地開発され斜面だけに緑が残ったからなのだ。同書によると、下総台地には多くの谷が刻まれ、湧水が多かったことも分かる。浸食された谷壁は垂直に近い崖を作っていたというから、今回歩いた江戸川低地沿い以外にも見られる市内の斜面林は、これらの谷壁のなごりだろう。

スペース

流山の斜面林

利根運河に面した斜面林から歩きはじめる。この辺りの比高(低いところと高いところの高度差)は、7〜8mぐらいだという。平行して走っている松戸野田線や江戸川の堤防の上からこの斜面林を眺めると、その全体がよく見える。

斜面林の下側(低いほう)に道路が通っているので、ここを歩きながら、斜面林の中に通じる道があると入ってみる。斜面林の上にはいくつかの寺社が点在し、この辺りにはまだまだ素朴な農村の雰囲気がある。香取大神宮は近隣のお宮にはちょっと見られない立派なつくりだった。鳥居の前にデンとある御神木の大きな切り株と、寺で見られる「仁王門」のような作りの門の中には仁王ではないが、石像が安置されていた。私は、このような作りの神社を見たのは初めてでちょっと不思議な感じがした。

スペース
スペース 流山の愛宕神社付近で出会った牧歌的風景

▲流山の愛宕神社付近で出会った牧歌的風景

 

江戸川沿いに斜面林が続く

▲江戸川沿いに斜面林が続く(里見公園近く)

 

スペース

また、神明社(下花輪)も小さいが雰囲気が良かった。斜面林を登る坂道の途中に階段があり、急な階段を登ると小さなお宮が姿を現す。いかにも斜面林に作られたお宮という感じである。

斜面林の下の道沿いには、いくつかのきれいな水たまりができていた。ひょっとすると、水が湧き出ているのかもしれない。この辺りの斜面林は、かなり豊かに残っていると感じるが、特に常磐道を過ぎて東葛病院に向かう間の農道の景色は、本当にのんびりしていて楽しかった。

花輪城址公園を過ぎると斜面林は切れ、やがて流山の市街地となる。一茶双樹記念館や近藤勇陣屋跡など見どころも多いので、散策してみるのもいいだろう。

松戸の斜面林

松戸市では馬橋から北松戸にかけて、切れ切れの斜面林を歩いてみる。国道6号線から遠くに見える緑を目指して歩くと斜面林が入り組んで続いている。新作か中和倉の辺りだ。これが「松戸市史」に出てくる台地に刻まれた谷なのだろうか。

本福寺などがある上本郷の斜面林を過ぎると、相模台までは斜面林らしきものはない。戸定が丘歴史公園、千葉大園芸学部、浅間(せんげん)神社の辺りになると、再び緑が増えてくる。この辺りの比高は15〜20mだという。

国道6号線を過ぎると矢切の斜面林となる。途中、外環道の建設工事現場にぶつかり、斜面林が途切れるが、これを過ぎると、また斜面林が続く。斜面林の下に細い道があり、ここを歩く。やがて竹林に囲まれた緑がうっそうと茂る小道となる。伊藤左千夫の小説「野菊の墓」に出てくる政夫と民子が歩いた道は、あるいはこんな感じだったのか、と想像する。

スペース

この道は、やがて「野菊の墓文学碑」がある西蓮寺から下りてくる坂道とぶつかる。

さらに斜面林の下の道を進み、柳原水門の辺りを過ぎると、やがて市川市に入る。斜面林の上は里見公園、和洋女子大。ここの斜面林は江戸川沿いに続く。川面に映える青空と斜面林の緑が美しいコントラストとなっている。この旅でも最も美しい景色と言える。

その後、斜面林は江戸川を離れ、内陸に向かう。斜面林の上に弘法寺 (ぐほうじ)という日蓮宗のお寺がある(元は真言宗、天台宗だったという)。何メートルあるのか。ここまでくると、斜面林の比高もずいぶん高い。絶壁にできたような階段を登ると、立派な仁王門がある。境内には櫓(やぐら)のような形をした鐘撞堂(かねつきどう)や、かわいらしい小さな弁天様、樹齢400年というしだれ桜、古い茶室のような家屋や赤門の向こうにある「人間学校」という道場など、どれも味わい深かった。

帰りに、再び急な階段を下りようとすると、下から高校のサッカー部員と思われる少年たちが階段を駆け上がってくる。いつもこの階段を使ってトレーニングしているのだろうか。これもまた、斜面林に見る風景とも言えるだろう。

※まちづくりNPOセレガでは、まち歩きのガイドブック「わがまちブック」1〜3巻を発売中。また「ぶらり探訪クラブ」は会員制で、4〜5月には「都電荒川線つれづれ旅」(3回シリーズ)を予定。問い合わせは1366・8803へ。

▲ このページのTOPへ ▲


服部幸應氏も講演

食の大切さ劇で分かりやすく

食のウインターフェア開催

スペース
食のウインターフェア

▲本番に向け劇の稽古にも熱が入る市民劇団員と市職員

 

服部幸應氏

▲服部幸應氏も講演

 

スペース

「あたりまえから あらためて みんなで考えよう! 食の大切さ 『食のウインターフェアin松戸』」が松戸市制施行65周年記念として、来月7日午後2時から4時まで松戸市民会館で開催される。この催しは、昨年7月15日に開催されるはずだったが、台風4号の影響で延期となっていた。今回、装いも新たに開催されることになった。

食育基本法の制定、食育推進計画の策定などにより、国及び地方公共団体における食育に対する取り組みが本格化しつつあるなか、松戸市でも、市民が「食の大切さと郷土のすばらしさを知り、生涯を通じて健やかに生きる」ことができるようにするため、食育推進計画を策定する。今回の催しは、市民の「食育」への関心、親しみと理解を深める目的で開催される。

スペース

第1部では、松戸市民劇団による食育劇「ご老公 食育漫遊記」〜元禄松戸村〜が上演される。江戸、元禄時代の松戸、メタボリックシンドロームに陥った松戸の代官のうわさを聞きつけて、水戸のご老公が松戸村に一喝しにやってくる、というお話で、劇中、スライドで小金牧や野馬土手など郷土の紹介も行われる。脚本は市民劇団の石上瑠美子さん。劇団員に混じって、市職員も演者や裏方として参加。背景は聖徳大学美術部が協力するという、市民手作りの内容だ。

第2部では、服部栄養専門学校校長でテレビでもおなじみの服部幸應さんが「伝えていきたい食育の大切さ」と題して講演を行う。

また、会場では食にかかわる各種展示や、試食なども行われる。

この催しを企画した健康福祉本部企画管理室の担当者で、食育劇に八兵衛役で出演する関口貴之さんは、「延期になり悔しい想いをしたことをバネに企画に取り組んできました。市民のみなさんに楽しく食育について考えていただければ」と話していた。

【戸田 照朗】


奥山儀八郎「矢切れの渡し」

▲奥山儀八郎「矢切れの渡し」

 

スペース

ゆかりの作家の作品一堂に

市立博物館で松戸市新収蔵美術品展

市立博物館では、きのう26日から3月9日まで、松戸市新収蔵美術品展「松戸のたからもの」が開催されている。

市の所蔵美術作品は、地域ゆかりの優れた美術について調査を進める過程で収集したものであり、その大部分は作家の遺族等からの寄贈によるもので、現在では1007点のコレクションが形成されている。

今回の展覧会では、前回の所蔵品展(平成9年度に開催)以降の10年間に収集した作品を中心に紹介。洋画から版画、工芸、デザインまで、約140点を展示している。

出品作家は、洋画の高橋由一、松岡壽、板倉鼎、版画の合田清、奥山儀八郎、デザインの剣持勇、大橋正、ほか各氏で、いずれも市内に住んでいた作家あるいは戦後(昭和20〜39年)の20年間、市内にあった千葉大学工学部の前身の東京高等工芸学校の教員・卒業生という。

また、会期中の土・日曜及び祝日(各日11時〜、15時〜)には関連事業として、ボランティアによる短歌朗読と紙芝居もおこなわれる。

短歌朗読では、与謝野晶子が大正13年に松戸を訪れて短歌を詠んだ事実と、与謝野晶子と板倉鼎・須美子夫妻との関係、松戸で詠まれた短歌が紹介される。紙芝居では、板倉鼎、剣持勇、奥山儀八郎の3氏の生涯と作品が紹介される。

休館日は、月曜(ただし、2月11日は開館)、2月12・22日。開館時間は9時30分〜17時。観覧料は、一般300円、高校・大学生150円、小・中学生100円(土曜は小・中学生の観覧無料)。

問い合わせは、1366・7463市教育委員会社会教育課(美術館準備室)まで。

【竹中 景太】

▲ このページのTOPへ ▲

スペース
板倉鼎「金魚と花」

▲板倉鼎「金魚と花」


重文 大日如来ほか公開

長生郡陸沢町 妙楽寺

スペース
年に1度公開される大日如来坐像(重文)ほか2体

▲年に1度公開される大日如来坐像(重文)ほか2体

 

古くから祈願の寺で有名な妙楽寺(千葉県長生郡陸沢町妙楽寺500)では、国指定重要文化財の大日如来坐像、県指定文化財の脇侍の鉈彫りの毘沙門天、不動明王を年に1度、八日祭(ようかまち)に一般公開している。今年は2月3日午前9時から午後3時まで公開する。

大日如来坐像は平安時代の作で、本県では最大(279センチ)。古来、八日祭は春一番のお祭りで、大日如来の祈願護摩に接し、厄除け、心願成就を託したと言われる。

同寺のある山は、千葉県の郷土環境保全地域に指定されており、シダをはじめ珍しい植物が群生。天候がよければ、裏山から九十九里の海も見えるという。

参拝者には温かい甘酒も振る舞われる。祈願護摩は10時、11時、14時。JR外房線茂原駅南口より送迎バス(9時、10時、13時発)あり。

問い合わせは、10475・43・0150、妙楽寺へ。

スペース


金蔵院で行われた小唄の演納

▲金蔵院で行われた小唄の演納

スペース

1年の「招福除難」を祈願

松戸七福神めぐり

 

新春恒例の松戸七福神めぐりが5日と6日におこなわれ、市内外から集まった多くの参加者が、今年1年の「招福除難」などを祈願した。

七福神めぐりは、古くは室町時代から「招福除難」の民間信仰として広まった。松戸では20年ほど前から、市内の神社仏閣を多くの人に知ってもらい気軽にお参りしてもらえればと、市内7つの寺が協力して始まり、今では新春の恒例行事となっている。

スペース

7つの寺のうち、幸福の神として親しまれる恵比寿様をまつる旭町の金蔵院(牛田秀浩住職)では、参加者に福飴が振る舞われたほか、小唄演納も。小唄演奏家で「松戸小うた」「坂川小うた」を作詞・作曲し、CDを発売している中條京子さんらが、小唄「纏ざくら」のほか、三味線演奏を参加者に披露した。

五香から参加した片田昭さん夫妻は「毎年、妻が七福神めぐりに参加していて、今年は夫婦で参加しました。小唄を間近で聴くのは初めてでしたが、正月らしくてとても良かったです」などと話していた。

【竹中 景太】

▲ このページのTOPへ ▲


中金杉子供会が初優勝

第14回松戸ポニーリーグ会長杯ソフトボール大会

スペース
初優勝を果たした中金杉子供会

▲初優勝を果たした中金杉子供会

 

第14回松戸ポニーリーグ会長杯ソフトボール大会がこのほど、江戸川河川敷でおこなわれ、中金杉子供会が初優勝を果たした。

この大会は、硬式野球をおこなっているポニーリーグの紹介と市内のジュニアソフトボールチーム間の親睦を深めることを目的に毎年、松戸ポニーリーグ野球協会が開催しているもの。今年は17チームが参加し、トーナメント方式により行われた。大会の結果はつぎのとおり。

★優勝=中金杉 2位=横須賀 3位=たんぽぽ 4位=アベックス

なお、松戸ポニーリーグ野球協会では、来年度中学に入学する小学6年生を対象とした「1日体験入団」の参加者を募集している。開催は、1月〜3月の毎週土・日曜及び祝日の午前8時〜。場所は江戸川河川敷の松戸と流山の境。同協会では「野球の好きな友達を誘いチャレンジして下さい。ソフト・軟式・硬式経験者、未経験者も大歓迎」と多くの参加を呼びかけている。問い合わせは、1365・7865同協会・松村さんまで。

▲ このページのTOPへ ▲



地域団体商標登録を受けた「矢切ねぎ」

▲地域団体商標登録を受けた「矢切ねぎ」

スペース

「矢切ねぎ」を商標登録

地域ブランドで差別化図る

 

 

 

 

松戸市の矢切地区で生産されている「矢切ねぎ」が、昨年12月に特許庁の地域団体商標登録を受けたことを今月18日、松戸市が発表した。

矢切ねぎは130年以上前から栽培されている伝統のある商品で、白くて甘みがあることなどから、料亭で使われたり、贈答用としても人気があるという。馬橋にあるJAまつど経済センター隣の直売所で3月初旬頃まで、販売もおこなわれている。

地域団体商標登録は、一昨年4月の商標法の一部改正に伴い施行された新しい制度。地域の特産品等を他の地域のものと差別化を図るための地域ブランド作りに資することなどがその趣旨で、昨年12月末現在までに800件近い出願がおこなわれ、県内では「矢切ねぎ」のほかに、「市川の梨」や「富里のスイカ」などが商標を取得している。

スペース

市農政課によると、矢切ねぎが本格的に栽培されるようになったのは、明治3、4年頃といわれており、当時の東京府下砂村(現・東京都足立区千住)から「千住ねぎ」の種子を譲り受け栽培を始めた。

河川によって運ばれた水分を含む砂と枯土が適度に混ざった土質が栽培に適していたことから年々作付けも増大し、明治12、13年頃からは市場へ出荷するようになったという。その後、先代の跡を引き継いだ後継者が組織的な研究活動により新技術をいち早く取り入れ、技術改善を図ってきたことにより、「全国農産物品評会」において3度の農林水産大臣賞も受賞している。

なお、市内では矢切ねぎのほかに、小金地区には江戸時代頃から本土寺周辺で続けられてきた栽培技術をもとに品種改良を重ねた「わけねぎ」があり、こちらは平成16年10月に登録商標を取得した「あじさいねぎ」として広く出荷されている。

【竹中 景太】

▲ このページのTOPへ ▲