松戸よみうりロゴの画像

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲

バックナンバータイトル676号

都市計画道路問題に揺れる

「関さんの森」ってどんな森?

 

 

 

 

 

 

 

道路問題で揺れる「関さんの森」だが、どんな森なのか、まだ知らない人も多い。そこで改めてこの森を紹介する。

【戸田 照朗】

スペース
関さんの森周辺図

>>>下の画面クリックで拡大

関さんの森の紹介写真

フクロウの森

「関さんの森」は幸谷にある2・1ヘクタールの里山。屋敷林、関邸の庭、むつみ梅林、こどもの遊び場、関さんの森農園からなる。関邸の庭も屋敷林から続く森となっている。

90年代まではフクロウが子育てをしていたが、周辺の開発などでいなくなり、今は飛来するのみ。が、2000年からアオバズク(小型のフクロウ)が子育てをするようになり、今でも関邸から鳴き声が聞こえる。

アカガシ、モミジ、キリシマツツジは市指定の保護樹木。市内外の学生の環境学習や市民の憩いの場に。

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲


<<<まち歩きのページへ戻る

秋の散歩道

利根運河を歩く

スペース
豊かな緑が満喫できる「利根運河」

▲豊かな緑が満喫できる「利根運河」

秋の散歩道として「利根運河」を紹介したい。全長約8・5キロ。両岸には遊歩道(サイクリングロード)が設けられ、眼前には広大な水田の風景や「谷津」と呼ばれるこの地方独特の地形が広がり、湿地や里山が見える。松戸市近郊でこれほどの自然を満喫できる場所もそうはない。

【戸田 照朗】

利根運河周辺地図

 

江戸川の堤防近くの水田。遠くに流山市街まで続く斜面林が見える

▲江戸川の堤防近くの水田。遠くに流山市街まで続く斜面林が見える

運河大師。ここにいくつかの霊場が集められているようだ

▲運河大師。ここにいくつかの霊場が集められているようだ

 

スペース

秋の――と書いたが、取材した日はまだこの夏の猛暑のまっただ中。夜が明けるころ、スポーツドリンクを片手に、自宅(稔台)を自転車で出発。松戸から江戸川左岸サイクリングロードに入り、北上する。走ること1時間20分でこの旅の出発点、利根運河の江戸川口についた。

私は自転車を使ったからこういうルートにしたが、徒歩の場合は東武野田線の運河駅を降りると、目の前が運河公園となっている。 運河の左側の道(野田市側)を利根川方面に走る。朝露に濡れた岸辺の緑が美しい。しばらく行くと「利根運河大師」にさしかかる。1913年(大正2)に始まった運河大師。運河周辺に88か所の霊場を設け、4月21日が運河大師めぐりの日とされている。運河がその役目を終えるとともに途絶えていたが、96年(平成8)に再建された。

また、その隣には窪田酒造と窪田味噌醤油があり、香ばしいにおいが漂ってくる。蔵や工場の建物が往時の風情をしのばせている。

さらに行くと、東武野田線の鉄橋が見え、運河駅の周辺が運河公園になっている。その一角にはムルデルの碑が建っている。

利根運河の歴史

ここで、利根運河の歴史を少し。北海道産の米や海産物、銚子漁港に水揚げされた魚などは、江戸時代より利根川を高瀬舟で運ばれ、関宿を経由して江戸川に入り、江戸まで運ばれていた。水運には3日もかかったという。行程をショートカットし、利根川と江戸川の間に運河を引いて物資を運ぼうとしたのが利根運河だ。スペース

1881年(明治14)に茨城県会議員だった広瀬誠一郎が茨城県令(今の県知事)人見寧に利根運河の開削を建議したのが始まり。運河より鉄道を主張する声もあったため、紆余曲折を経て、広瀬は利根運河会社(社長は人見)を立ち上げて88年(明治21)5月に工事を始めた。運河の設計と監督を務めたのは政府の雇われ外国人技師だったオランダ人のローウェンホルスト・ムルデルだった。延べ220万人、1日平均約3000の人夫がクワやツルハシで掘り進め、モッコで土を運んだ。2年後の90年(明治23)6月16日に竣工式を迎えた。しかし、広瀬は過労のため、同年3月に53歳の若さで急死した。また、ムルデルも任期が満了し帰国の途にあった。

運河はその後1940年(昭和15)まで50年間使われた。最盛期は最初の19年間。開通の翌年は年間3万7600隻の高瀬舟や蒸気船が人や物資を乗せて行き来した。現在の運河には水が少ないが、当時は満々と水をたたえていたという。運河の両岸には多くの旅館や商店が軒を連ね、岸に植えられた桜が美しく、花見の名所としても賑わったという。しかし、鉄道の発展で水運は徐々に衰退し、度重なる洪水で被害を受けたことから、41年(昭和16)利根運河会社は解散。運河は政府に買収された。

長い間、運河は忘れ去られていたが、首都圏の都市用水渇水対策として、利根川の余剰水を江戸川に引くために、75年(昭和50)にポンプを使って再び通水された。 スペース

スペース 窪田酒造

▲窪田酒造

ムルデルの碑

▲ムルデルの碑

理窓会記念自然公園の湿地と見事な蓮の池(右)

▲理窓会記念自然公園の湿地と見事な蓮の池(右)

利根川が近づくと、右手に美しい水田が広がっていた

▲利根川が近づくと、右手に美しい水田が広がっていた

割烹旅館「新川」

▲割烹旅館「新川」

スペース

85年(昭和60)には流山の地に移り住んだ作家・北野道彦氏の提唱でムルデルの碑が建てられた。利根運河の歴史については、北野氏の著書『新版・利根運河』(相原正義氏との共著・崙書房)に詳しい。

「谷津」の姿残す大学の森

東武野田線の鉄橋をくぐると、左側に東京理科大のキャンパスがあり、その奥には「理窓会記念自然公園(理窓公園)」が広がっている。同大の同窓会(理窓会)が80年(昭和55)に大学の創立100周年を記念し、約13万平方メートルの広大な自然公園を完成させた。卒業生などの寄付金3億円あまりをもとに、地元地権者の協力を得て作られたこの公園は、東葛地方の地形の特徴である「谷津」の姿をよくとどめている。湿原や水田の合間に里山が点在している。ヨシ原や蓮の池が見事だ。一私立大学が、これほどの森を維持しているなんて…。驚きと共に感動すらした。ここの動植物は幸せだと思う。同大が健在であれば、この自然は永遠に守られるのだ。公園の散策にはゆっくり歩いて約1時間ほどかかる。

公園の緑を左手に見ながら進むと、やがて眼前に広がるのは緑だけになってくる。

国道16号線を過ぎてしばらく行くと水門が見え、歩道の終点になる。ここから江戸川方面に引き返してもいいが、せっかくなので利根川を見に行く。が、河川敷の緑が繁茂していて、川面が見えない。代わりにはるか遠くまで見事な水田の景色が広がっていた。

帰路は柏・流山側の岸を走る。いくつかの森を見ながら運河駅まで戻ると、少し先に割烹旅館「新川」がある。往時の運河のにぎわいを伝える数少ない老舗だという。昼時はランチもやっているので、一度入ってみたい。

江戸川口に着く前には、左に斜面林と水田が広がっていた。

※参考文献=『歩いて見よう利根運河』(江戸川の自然環境を考える会)

<<<まち歩きのページへ戻る

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲

スペース

平和の尊さ再認識

「平和大使」が長崎に

スペース
長崎市に派遣された中学生の「平和大使」

▲長崎市に派遣された中学生の「平和大使」

7日から10日まで市内の中学生10人で結成された「平和大使」が長崎を訪れ、平和祈念式典や青少年ピースフォーラムなどに参加。平和の尊さを再認識した。同フォーラムは青少年を対象に、長崎市が各自治体に呼びかけ、毎年実施しているもので、松戸市は初参加。戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさ、平和の尊さを学び、原爆被爆者を追悼した。10人の大使は6月中旬から事前研究や千羽鶴を折るなどの準備をしてきた。

12日には市長へ報告。「(爆心地に近い)浦上天主堂の焼けたレンガや土台の石などを見て、原爆がとても悲惨なものだと認識した」「ピースフォーラムの(被爆者の)吉田勝二さんの話の中で『平和の原点は人の心を持つこと』という言葉がとても印象に残った」「原爆の恐ろしさが分かっていると言っても、今までは上の空、とってつけたようなものだった。今回の訪問で、原爆は恐ろしいと改めてというか、新たに分かった」「資料館で見た皮膚がこげている人の写真などがショックだった。学んできたことをみんなに伝えたい」「戦争は二度と起きて欲しくない。今できることは、今回の体験を伝えてゆくことだと思う」などと話した。

戸田 照朗

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲


悲願の全国への切符を手にした「松戸14」のメンバー

▲悲願の全国への切符を手にした「松戸14」のメンバー

スペース

県制し初の全国大会へ

レディースソフトボールチーム「松戸14」

スペース

市内にあるレディースソフトボールチームの主力が集まり平成14年に結成したレディースソフトボールチーム「松戸14」が、6月におこなわれた千葉県予選会で見事初優勝を果たし、来月13日から15日まで茨城県で開催される「第13回全日本レディースソフトボール大会」へ初出場する。

松戸14は、結成当時から監督をつとめる藤澤泰子さんらの呼びかけにより、同大会への出場を目指し結成された、いわばレディースソフトの松戸選抜チーム。下は大学生、上は42歳と幅広い年代の選手が在籍しており、「ワンチャンスを生かして、数回あるピンチをしのぐ守り主体のチーム」(藤澤監督)という。

県予選会では、初戦2―0、2回戦2―1といずれも接戦を制すと、3回戦からは堅い守りと猛打で勝ち進み、決勝も強豪のGAP(千葉市)を相手に7―1と圧勝。初の全国大会への切符を手にした。大会を通じて失った点は2回戦と決勝の1点ずつの、わずか2失点。藤澤監督は「2回戦で全国の優勝経験のあるコスモクラブ(市原市)に競り勝てたのが大きかった。これで勢いがついた」と振り返る。

実はこの藤澤監督、この大会の前身、家庭婦人ソフトボール大会の全国大会で準優勝をした経験を持つ。当時は主力の選手として、今回は監督として、二度目の全国の舞台に立つ。

藤澤監督は「6年かかって、やっとここまできた。全国ではまずは1勝を狙いたい。とにかく楽しいソフトボールをしたい」。

松戸14は、昨年の秋の大会からここまで、練習試合も含めて全勝、負け知らずだ。この勢いをそのままに初の全国に挑戦する。

竹中 景太

▲ バックナンバーメニューに戻る ▲


戦国武将の甲冑を手作り

松戸まつりで甲冑行列も

 

 

 

 

 

 

地域間交流で松戸市にも甲冑(かっちゅう)行列を――。

松戸市観光協会では、10月4・5日に松戸駅前などでおこなわれる「第35回松戸まつり」で、「戦国絵巻甲冑行列」を企画、現在参加者を募集している。それに先だって、同協会では今月中旬より、戦国武将の甲冑を厚紙などを用いて手作りする「甲冑教室」を、戸定邸前の茶室・松雲亭で開催した。

二十世紀梨が縁で松戸市が交流活動を続けている鳥取県倉吉市。その倉吉市が「南総里見八犬伝」で知られる里見氏の縁で交流活動をおこなっているのが千葉県館山市。館山市では秋の「南総里見まつり」で戦国武者行列をおこなうなど、手作り甲冑が盛んな地だ。

スペース
スペース 甲冑の兜部分を作る参加者

▲甲冑の兜部分を作る参加者

 

里見氏と言えば、北条氏との間で争われた国府台合戦があり、その舞台となった国府台城は松戸市のお隣、市川市。少なからずも松戸市にも縁があり、観光協会のメンバーが館山市を訪れた際に手作り甲冑の魅力に触れたことで、松戸での「戦国絵巻甲冑行列」が企画されたという。

10月の松戸まつりで催される「甲冑行列」は、館山市の「南総里見手づくり甲冑愛好会」(山口幸夫代表)の手作り甲冑を借りておこなわれるが、ゆくゆくは自分たちの手で作った甲冑をまといたい、との思いから実施されたのが今回の「甲冑教室」だ。

教室には、同愛好会の山口代表を講師に迎え、全8日間、50時間以上をかけて、兜を製作。手作り甲冑は厚紙で作ると言っても、その外見は本物と見間違えるほど。それだけに手間はかかり、甲冑すべてを製作するには「週1回で半年間くらいかかる」(山口代表)という。

昨年、倉吉市でおこなわれた「里見まつり」で手作り甲冑をまとった経験があり、今回の甲冑教室にも参加した松戸シティガイドの石上瑠美子さんは「思っていた以上に大変。来年までに完成させられるかどうか心配ですが、手作り甲冑を通して、松戸・倉吉・館山の3市でトライアングル的な交流ができればと思っています。また今後、手作り甲冑を通して市民の方にもっと松戸市の歴史について触れてもらえれば」と話していた。

なお、「戦国絵巻甲冑行列」は10月5日の午後0時30分から2時30分までの開催。参加には、往復ハガキによる事前応募及び事前説明会(9月23日10時〜正午、勤労会館)への参加が必要となる。詳細・問い合わせは、1366・7327市観光協会事務局(市役所商工観光課内)まで。

【竹中 景太】

▲ このページのTOPへ ▲