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バックナンバータイトル713号

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来松戸から200年

「千葉周作 修行之地」標柱建つ

 

 

 

 

 

 

 

宝光院の境内、入口の門の脇に「千葉周作修行之地」の標柱が、周作が松戸に来て200年目にあたる昨年建てられた。幕末の剣客・千葉周作は少年時代を松戸で過ごし、善照寺と宝光院の間にあった浅利道場で本格的に剣の道に入った。この標柱の柱は04年に取り壊された旧松戸宿本陣のケヤキの大黒柱が使われている。

【戸田 照朗】

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スペース 千葉周作修行之地の標柱

▲千葉周作修行之地の標柱

霊場再興のための工事が進む宝光院境内

▲霊場再興のための工事が進む宝光院境内

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今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、坂本龍馬は剣術修行のため土佐から江戸に来て、神田の千葉道場に入門する。周作の弟・定吉の道場で北辰一刀流の手ほどきを受け、1年の修行を終えて土佐に帰ろうとするくだりまでが、先週の日曜に放送された。

周作はこの北辰一刀流をあみだし、江戸で大きな道場を開き、庶民にまで剣術を広めた。

司馬遼太郎の小説「北斗の人」には次のようなことが書かれている。

周作は男ばかり3人兄弟で幸右衛門の次男として生まれた。幼名を於莵松(おとまつ)といった。幸右衛門は奥州を転々とし、陸前(宮城県)栗原郡荒谷村に流れてきた時には、周作の母は亡くなっていた。幸右衛門はこの村で遠縁の千葉吉之丞(きちのじょう)の養子となった。

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吉之丞はれっきとした剣客で、幸右衛門にみずからあみだした北辰夢想流という流儀を教えた。だが、吉之丞も幸右衛門も剣の道では成功していない。

千葉氏は、戦国時代に現在の千葉県一帯を支配していた千葉氏の流れをくむ姓といわれている。しかし、吉之丞や幸右衛門が生きた江戸時代には、正式には武士ではなく、千葉姓も自称しているだけだった。それは息子の周作も同じである。

周作に剣の才能を見いだした幸右衛門は一念発起し、40歳を過ぎて江戸に周作を連れていくことを決意する。当時、剣客のメッカはなんといっても江戸だったからだ。周作15歳の時だった。

運良く土地の大名主から旅費の援助を受け、幸右衛門と周作の兄弟たちは江戸を目指した。しかし、江戸を前にして、幸右衛門が腰を落ちつけたのは松戸ノ宿だった。

松戸には小野派一刀流の剣客、浅利又七郎が道場を開いていた。浅利又七郎は松戸に住みながら、江戸の若狭小浜侯酒井家につかえ、剣術師範をつとめるという使い手だった。

川ひとつを挟んだ江戸に比べれば、松戸は物価が安い。幸右衛門は、周作を浅利道場に入れて剣術の修行をさせながら、自身は馬医者として生計を立てようとした。宿場町である松戸には多くの馬もいた。この辺の事情は、現在のそれに似てなくもない。

周作は、めきめき腕を上げ、又七郎と試合をしても勝てるようになった。そこで、又七郎は自身の師匠にあたる江戸の中西道場に周作を出すことにする。周作は中西道場でも数年で頭角をあらわし、一刀流中西派の「本目録皆伝」を得た。

周作の才能を見込んだ又七郎は、養女のお美耶と周作を結婚させようといろいろと画策する。又七郎には、江戸で名をあげた周作が松戸の道場で教えれば、門人も増えるだろうという計算もあった。周作は父幸右衛門と又七郎の言うことを聞いて、やむなく結婚する。

しかし、婿養子としての窮屈な生活も長くは続かなかった。門人の教授法で又七郎と対立したことをきっかけに、皆伝書を返上、離縁して松戸を出ていく。

松戸を後にした周作は、江戸へ、そして上州へと武者修行の旅を続け、北辰一刀流の創始者として名を残すのである。

小野派一刀流にしても北辰一刀流にしても、面、籠手など防具をつけて竹刀で打ち合って稽古するスタイルは、当時としては新しい形の流派であり、現代の剣道に与えた影響も少なくないのではないか、と推測する。

善照寺の門の左手にある藤屋洋品店とその隣のセキ時計メガネ店のあたりが浅利道場だったようだ。

宝光院には、天保2年(1831)に没した父の幸右衛門の墓がひっそりとある。幸右衛門は、馬医者としては浦山寿貞という名を名乗っていた。墓には、「寿貞浦山先生之墓」の文字が見える。

また、同院には浅利又七郎の供養塔もある。ちなみに、周作の墓は巣鴨の本妙寺にある。

浅利道場で修行していた周作は、この旧水戸街道の往来を闊歩(かっぽ)していたに違いない。

旧松戸宿本陣の大黒柱を使用

標柱には04年に取り壊された旧松戸宿本陣の大黒柱が使われている。

旧松戸宿本陣は旧水戸街道沿いの松戸郵便局近くにあった。宿場町として栄えた松戸宿の歴史的建造物だっただけに、地元では「旧松戸宿本陣保存会」を立ち上げたが、取り壊しを止めることはできなかった。標柱の建立には、当時同会に寄せられた賛助金十数万円が使われたという。

旧松戸宿本陣の大黒柱は、しばらく馬橋駅近くの空き地に置かれていたが、後に市内の材木店に移され、ここで標柱の制作が行われた。

市教委は取り壊し前に本陣の全面調査をおこない、図面を作成。解体作業の際に一部の具材を譲り受け、市立博物館に資料として保存している。

 

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周作の父・千葉幸右衛門(浦山寿貞)の墓

▲周作の父・千葉幸右衛門(浦山寿貞)の墓

浅利又七郎の供養塔

▲浅利又七郎の供養塔

旧松戸宿周辺図

04年に解体された旧松戸宿本陣

▲04年に解体された旧松戸宿本陣

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宝光院に八十八か所霊場を再興

標柱は宝光院の厚意で境内に建てられたが、同院では、現在、弘法大師霊場の再興に向けての工事が行われており、6月に落慶の予定だという。

明治40年(1907)に松戸を中心とする江戸川周辺地域の繁栄と、そこに暮らす人々の幸せを願って、松戸向山(松戸駅東口のイトーヨーカドー裏の斜面)に弘法大師の霊場が開設された。霊場には、四国八十八か所各札所と高野山から頂いた御砂と弘法大師石像九十数体が安置され、多くの参拝者が訪れたという。しかし、後の開発で霊場はなくなってしまった。

同院境内に再興される新霊場では、あらためて四国霊場と高野山から御砂を頂き、弘法大師御尊像92体が制作され、安置されるという。

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クチコミ情報も満載

子育て・孫育てガイドブック発売中

 

 

 

子育て中のお母さんや子育て経験者が編集した「まつど子育て・孫育てガイドブック2009」=写真=が、市内の書店などで販売されている。

制作したのは、まつど子育て・孫育てガイドブック編集委員。昨年3月に発行した2008年版が約1か月半で完売し、好評だったことから、さらに内容を充実させて09年版を完成させた。

ガイドブックには、市内にある子育て関連の公共施設や公園などのおでかけスポット、医療機関、幼稚園・保育園、子育てサークルの情報などが地区ごとに紹介されているほか、コラムや絵本、子育てサイト、駅のバリアフリー状況(エレベーター、エスカレーターの有無など)についても、わかりやすくまとめられている。

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スペース まつど子育て・孫育てガイドブック2009

なかでも興味深いのが、市内で子育て中の先輩ママ259人へのアンケート結果をもとに紹介されているクチコミ情報。産婦人科、母乳の悩み、外遊びのスポット、室内遊び場についての情報が寄せられており、例えば産婦人科では松戸市立病院について「設備は古いが、医療の質・スタッフの質は高く満足している」「分娩予約はすぐにいっぱいになる」などと、経験者だからこそわかる情報が記されている。

編集委員の高橋雅子さんは「わたし自身、他から松戸に引っ越してきて、どこに病院があるのか、どこに相談すればいいのか、すごく困りました。無料で配布されている子育て関連の冊子もあったのですが、情報が古かったり、病院の評判などはわかりませんでした。そうした自分が困った部分を、ガイドブックに盛り込むように心掛けました」と話している。

160ページ、頒価500円。伊勢丹松戸店の紀伊国屋書店、松戸駅東口の良文堂書店ほかで販売。メール(kosodate@hotmail.co.jp)での郵送購入も可(送料100円及び振込手数料は負担)。
問い合わせは、電話 042・545・6462編集委員の天井靖子さんまで。

【竹中 景太】

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そば処「山和」の「雛のつるし飾り」

▲そば処「山和」の「雛のつるし飾り」

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「雛のつるし飾り」を展示

 

 

 

新松戸駅前にある、そば処「山和」(新松戸2―6)の店内に今年も、同店従業員が手作りした「雛のつるし飾り」が展示され、同店を訪れる人の目を楽しませている。

「雛のつるし飾り」は、静岡県東伊豆の稲取温泉が発祥の地とされ、桃の節句におひな様の脇に人形などの和細工をつるし、子や孫の成長を願うという風習として、今も続いている。

同店に展示されている「雛のつるし飾り」は従業員の大橋道子さんと菊池フミさんの2人で製作。寝る間も惜しみ、コツコツと1年をかけて作り上げた。

「雛のつるし飾り」を同店に飾るようになったのは3年前から。稲取温泉へ同店主と旅行に行った際、本場の「雛のつるし飾り」を見た店主が触発され、「店内には展示できるスペースがある。2人が作っているものがあるなら展示して、お客さんにも見て楽しんでもらおう」と飾るようになったという。

お客さんからも好評で、「見ているとすごく癒される」「(作るのは)さぞ大変だったでしょう」「作り方を教えて」などと声をかけられるという。

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製作した大橋さんと菊池さんは「気持ちを込めて作りました。つるし飾りを見て、少しでも春を感じてもらえれば」と話している。

なお、「雛のつるし飾り」は3月末頃まで展示予定。同店の営業時間は、昼が午前11時15分から午後3時30分、夜は午後5時〜8時30分まで。日曜定休。問い合わせは、電話 344・3181そば処「山和」まで。

【竹中 景太】

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河津桜まつり

20・21日に開催

 

 

20日と21日、「第一回松戸宿坂川 河津桜まつり」が開催される。河津桜は市とボランティア団体などが坂川沿いに植樹しているもの。まだ木は細いが、今月中旬から咲き始め、1か月ぐらいの間、可憐な花をつける。

会場は、料亭・富吉裏から松龍寺前の橋までの坂川沿いの道と松龍寺境内(1面「旧松戸宿周辺図」参照)。時間は両日とも午前10時から午後3時まで。

トン汁、甘酒など(有料)のほか、松龍寺境内では21日午後2時から落ち葉焚き、焼き芋、焼き餅などが行われる。

主催する松戸宿商業振興連合会に所属する商店で買い物をすると、「サービス補助券」がもらえ、トン汁、甘酒、おしるこ、お餅、笹酒、焼き芋などと交換することができる。

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つぼみがほころび始めた坂川の河津桜

▲つぼみがほころび始めた坂川の河津桜


11年ぶりの「神幸祭」

▲11年ぶりの「神幸祭」

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神幸祭写真コンテスト作品募集

20日締め切り

 

 

 

 

 

 

松戸神社奉賛会では、昨年11年ぶりに行われた松戸神社神幸祭の写真を募集中。3月23日〜28日、午前10時から午後6時まで(初日は午後1時から、最終日は午後4時まで)、松戸市文化ホールで作品展を開催する。

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応募規定は、プロ・アマ問わず今年の松戸神社神幸祭を撮影した未発表の写真。応募作品数は1人5点まで。フィルムカメラで撮影し、四切サイズ(254×305mm)に印画した写真。またはデジタルカメラで撮影し合成等加工を行わずA4サイズの写真用紙に最高画質で印刷した写真。パネル貼付け不要。所定の応募票(「松戸神社神幸祭写真コンテスト」で検索し、ダウンロード)に必要事項を記入のうえ作品裏面に貼付して送付または持参。

締め切りは20日必着。応募先は〒271-0092 松戸市松戸1457、松戸神社社務所、松戸神社神幸祭写真コンテスト係へ。

詳しくは松戸神社HPで要確認。問い合わせは電話 362・3544松戸神社社務所。

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