東葛の寺社めぐり(2)
旧野田市の神社・仏閣を訪ねる旅<中>
東武野田線 清水公園駅周辺
清水公園の桜と金乗院
東武野田線・清水公園駅を降りて、駅前の通りを真っ直ぐ行くと、清水公園につきあたる。桜の季節の前はひっそりと静かなたたずまいを見せていたが、桜が満開となった先週末は多くの花見客でにぎわっていた。
清水公園は明治27年(1894)に開園した民間の公園。茂木柏衛翁が建設したが、現在は1千秋社という会社が管理・運営しているという。当初は「聚楽園(しゅうらくえん)」という名前がつけられていた。約28万平方メートルの園内は、桜、梅、つつじ、アジサイ、椿など多くの樹木がある。
園内にある金乗院は、応永5年(1398)ころ開山の真言宗の寺院で、旧野田市では最古だという。御本尊は薬師如来で秘仏。
もともと、この地域の修行寺として加持祈祷や数学の中心で、市指定文化財の「算額」(和算家が自分で作った数学の問題や解答を神社や寺院などに奉納した絵馬)がある。
立派な仁王門は、平成10年に修復落慶したもので新しく見えるが、寛政年間(1789〜1800年)に再建されたものだという。その時、大工の棟梁に反感を持った者が、夜の間に柱1本を寸足らずにして、困らせようとしたが、事前に分かり、あらかじめそれに合う台石を用意して、難を逃れたという。現在でも、正面から向かって右側に台石が残っている。
境内の「劫初(ごうしょ)の桜」という樹齢約100年の桜が美しく咲き誇っていた。近年、うろの中から若い幹根が生じたことから、この名前がつけられたという。
近くには、国の重要文化財・旧花野井家住宅がある。また、公園の南、堤台という土地に子育延命地蔵堂がある。堂内には応永2年(1395)5月の年号が彫られた地蔵菩薩が安置されており、2月24日と8月24日に開帳されるという。
境内には「疣(いぼ)取り地蔵」もある。堤台にあった報恩寺の住職が安永8年(1779)に建立したもので、「この像を撫(な)でれば疣が取り除かれる」と言い伝えられている。そのお礼として砂糖をあげるのが習慣となり、地蔵の口の周りがいつも砂糖で黒くなっている。
また、下掲写真の仏像は、とある場所を歩いている時に、あるお堂のなかにいらしたもの。優しい面立ちのきれいな仏様だった。
最近は仏像を盗む不届きな輩がいるせいか、寺などでも仏像を秘し、生で見る機会はあまりない。ここでも場所などは秘すことにする。
尾崎、東金野井、中里へ
緑の中に点在する寺社群
東武野田線・川間駅から、尾崎、東金野井方面へ歩いてみる。
尾崎小学校のそばにある天神宮は、畑が点在する辻にひっそりとあった。牧歌的な風景で、心がなごむ。
近くの香取神社も、辻にこんもりとした杜をつくっていた。住宅の隣で、「浮き島」のように見える。
この香取神社に来る途中には、浅間宮の小山が道路沿いにあった。前回も書いたように、旧野田市の寺社にはいたるところに富士塚があり、その多さに驚かされる。この浅間宮のように寺社の境内ではなく、道の辻などに見られることもしばしばだ。
尾崎小の横を川が流れているが、この川が自然の小川の雰囲気でなかなか良い。川にかかる橋のたもとには、水神宮があった。
浄水場の近くにある西福寺。境内の入口には石仏群が並び、ひっそりとしたたたずまいが、散歩道としてはよさそうだ。
国道16号線を渡り、東金野井方面へ。
清泰寺には寛文5年(1665年)に製作されたという「練絹刺繍釈迦涅槃像」(市指定文化財)がある。
清泰寺の近くにある三峰神社がよかった。こんもりとした森のなかの参道を歩くと奥に小さな社殿が見える。
道路ぞい右に天満宮を見て、江戸川方面に向かう。堤防沿いに走る道路を左に行けば、左手に小高い丘と草原が見え、大きな銀杏の樹が立っているのが見える。これが、八幡神社だ。この一帯は東金野井貝塚で、130メートル×110メートルの弧状の大きな貝塚だ。
神社境内をよく見ると、貝殻で地面が白くなっている。縄文時代前期(約6000年前)から晩期(約3000年前)のものだというが、そんな昔の人が食べた貝殻が、こんなに完全な形で転がっているなんて、ちょっと不思議な気分になる。ここは、江戸川のほとり。昔は奥東京湾といって、江戸川の奥深く海が入り込んでいた。この貝塚もそんな時代の遺物なのだろう。
近くの満福寺を見た後、今度は上流へ向けて堤防沿いの道を歩く。右手に須賀神社という小さな神社があり、道から少し内陸方面に行くと大山阿夫利神社がある。
この神社は、農家の庭先にあり、「入ってもいいのかな」と少々はばかられた。周囲は農村の風景が広がる。
ゴルフ場を迂回して、中里へ。
ここには三社大神がある。塀に囲まれた社殿の造りが面白い(権現造というのだろうか)。前回紹介した愛宕神社や上花輪の香取神社と似た造りだ。
三社大神境内にも立派な富士塚があった。
中里の端にある羽黒神社は川のほとりにある小山の中にあった。道路から見えるその姿に趣があった。
今回の取材で、記者は自転車を使用している。駅の側には有料・無料の駐輪場があり、最寄りの駅に自転車を置いて、電車で通いながら取材を続けた。
野田市内には「まめバス」というミニサイズのノンステップバスが走っている。同地が産地の枝豆をキャラクターにしたかわいらしいバスだ。料金は、100円均一(小学生は50円、乳幼児無料)。回数券や乗り継ぎ券(無料)もあるため、賢く使えばお得かもしれない(問い合わせは、電話 04・7122・1595茨急バス、電話 04・7125・1111野田市)。
※参考文献=「野田紀行」(野田市)、「野田の史跡を訪ねて」(野田市立興風図書館)
山崎さんの旅立ちを応援
市民会館で打ち上げライブ中継
松戸市出身の宇宙飛行士・山崎直子さん(39)が搭乗するスペースシャトル・ディスカバリー号が5日午後7時21分打ち上げられ、シャトルは予定の軌道に乗り、打ち上げは成功した。
松戸市民会館では、7日本宇宙少年団「千葉スペースボイジャー分団」(田嶋正一郎分団長)主催の「打ち上げライブ中継」が行われ、分団員と市民約300人が、インターネット中継の画面を見ながら、打ち上げを見守った。
打ち上げから約8分後、ロケットからシャトルが切り離され、打ち上げが無事成功したことが伝えられると、改めて安堵の声と歓声、そして拍手が起こった。
会場に来ていた分団の子どもたちからは「打ち上げ5分前から緊張していたが、成功してホッとした。本当にうれしい」といった声が聞かれた。
山崎さんは6日、シャトルの機体の損傷点検で、ロボットアームの操作を担当した。
シャトルは、7日に国際宇宙ステーション(ISS)とドッキング。山崎さんはISSに昨年の12月から長期滞在中の野口聡一宇宙飛行士(44)と合流した。同時に日本人2人が宇宙に滞在するのは、初めて。18日に帰還予定。
分団の田嶋愛子さん(東邦大付属中1年)と東風宏輝君(馬橋小5年)、山崎さんの出身校である相模台小の児童2人と松戸一中の生徒2人が、12日、首相官邸でISSと交信し、山崎さんと対話する予定で調整が行われている。
7日本宇宙少年団は次世代の日本を担う青少年の人材育成・人格形成を活動理念として1986年に設立された。
理事長には漫画家の松本零士氏、団長には毛利衛宇宙飛行士、副団長に古川聡・山崎直子両宇宙飛行士が就任している。
全国に129分団があり、団員数は約3300人。千葉県には2つの分団があり、「千葉スペースボイジャー分団」は、県下で2番目にできた。松戸市を中心に、柏、白井など東葛で活動し、山崎宇宙飛行士の応援イベントなどを企画している。
【戸田 照朗】
松戸市民スプリングゴルフ大会
青島さんが総合優勝
女子の部優勝は平野さん
松戸よみうり新聞社主催「第10回松戸市民スプリングゴルフ大会」((財)土屋文化振興財団、(株)JCNコアラ葛飾、読売新聞松戸支部、(株)椎名後援)が5日、あいにくの雨模様にも関わらず、総勢153人の参加者により我孫子ゴルフ倶楽部で開催された。参加者はゴルフに汗を流し、交流を深め合った。
大会は、青島勇さんがネット70で総合優勝。
優勝(女子の部)は平野公巳子さん(ネット74・6、グロス107)、準優勝は光岡毅さん(ネット70・4、グロス92)。ベストグロス賞は、男子の部で小野孝さん(グロス80)、女子の部では藤原聡子さん(グロス93)がそれぞれ受賞した。
大会の上位入賞者は次の通り(敬称略)。
▼総合優勝=青島勇
▼優勝(女子の部)=平野公巳子 ▼準優勝=光岡毅 ▼第3位=眞崎浩一(ネット71・8)