松戸の地名の由来(2)

地名はその土地の歴史と深く関係している。地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。あなたの街の地名にはどんな由来があるだろうか。

栗山の地名の由来がある日蓮宗本久寺の写真▲栗山の地名の由来がある日蓮宗本久寺

串崎新田 くしざきしんでん

地形と道路によって「串」の字型になるからだという。

 

栗ケ沢 くりがさわ

野栗が多かったことによるとする地元の説がある。

 

栗山 くりやま

同地にある日蓮宗本久寺が真言宗の道場だったころ、境内の西の方に大木があって、夕日がさすと、阿弥陀如来の御来迎に見えたという。西に木があることから、山号を西木山といった。この西木山の「西」と「木」を合わせて一字とし「栗」となり、「栗山」となったという言い伝えがある。

 

九郎左衛門新田 くろうざえもんしんでん

新田開発草分け者の名によるという。

 

幸田 こうで

小金北小学校PTAがまとめた「こがねのむかしばなし」にはこんな話が出ている。日照りに干ばつ、洪水にと農民の苦労は絶えなかった。しかし、この地には4つの田んぼがあり、どこか1か所が凶作でも、必ずほかの田んぼが豊作で、人々は飢饉に苦しむことはなかった。そこで、「幸いな田」ということで、「幸田」と呼ぶようになったという。

実際にはかなりの荒田だったところを、人々の願いを込めて、江戸時代ごろに幸田としたのではないかという。

 

幸谷 こうや

南側に西から東へ谷津が入っており、これが荒谷であったことによるという。

 

古ヶ崎 こがさき

江戸川沿いの自然堤防微高地が古くからあったことによるという。あるいは、江戸川の流れは以前は蛇行していて、鵜森稲荷神社や圓勝寺のあった地域は、江戸川へ突き出た岬のようであったことから、岬(御崎=みさき)のような地形から生まれた名前とも考えられている。

 

小金原 こがねはら

江戸時代以前、小金原は小金牧とか小金野、四十里野ともいわれた野生馬の放牧地で、北は野田市から流山市、柏市、松戸市、鎌ヶ谷市、南は習志野市、船橋市に及ぶ広大な原野の呼び名だった。今の小金原はちょうどその中央の位置にあたる。

戦国時代の小金城主高城氏の支配地・小金領の中にあったことから小金野と呼ばれるようになり、江戸時代に入って小金原となったようだ。

 

※参考文献=「あきら」(グループ モモ企画、足利谷久子編集)、「角川日本地名大辞典」、「松戸の歴史散歩」(千野原靖方・たけしま出版)、「ふるさと常盤平」(常盤平団地自治会編集、常盤平団地30周年記念事業実行委員会発行)、「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔はなし」(松戸新聞社)、「松戸史余録」(上野顕義)、「改訂新版 松戸の歴史案内」(松下邦夫・郷土史出版)、「江戸川ライン歴史散歩」、「二十世紀が丘区画整理誌」(都市部開発課編集・松戸市発行)、「新京成電鉄沿線ガイド」(竹島盤編著・崙書房)、「わがまち新生への歩み」(松戸市六実高柳土地区画整理組合)、「日本城郭体系第6巻」(松下邦夫・新人物往来社)