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忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(40)

塩さんとのボランティアから生まれた多くの縁


本シリーズ2回目に登場した「九段の母」の塩まさるさん。私の余暇の楽しみで始まった塩さんとのボランティア活動の日々は、延べ20年を超え、それは私の思い出の中でも特筆すべきものとなった。

戦時中、「軍国子守唄」「母子(おやこ)船頭唄」「月下の吟詠」そして今なお歌い継がれている「九段の母」。一世を風靡した塩さんは、戦後の昭和23年、古巣のキングレコードに復帰して「流転子守唄」「岬の夕月」などのヒット曲を発表しているが、時代の空気に合わないと察知して、その歌声は、レコードからもラジオからも消え去ってしまった。

私が知り合った頃の塩さんは、足立区の環七通りを西新井の方から直進し、上沼田の信号を右折した所にある「マスト」という商店街のコンサルタントというか宣伝を含めた事務一切を受け持っていた。

若き日、琵琶できたえた喉は、70歳を過ぎても衰えを知らず、それ以来毎年〈敬老の日〉前後は柏地区の各会場で引っ張り凧となり、昭和戦前の歌謡曲のヒットメドレーは満堂の聴衆を魅了し続け、私もすっかり良い気持ちになっていた。塩さんが80歳を迎えた「傘寿の祝い」を私は柏駅西口に出来たばかりの小さなホールを借りて行った。前回で御紹介した武藤礼子さんや、「なつメロ愛好会」の人々が大勢集まり、各々得意のノドを披露してくれた。

塩さんの、地味な活動に何とか報いたいと思い、私は平成2年8月5日、文京区護国寺の天風会館を借りて、「塩まさる・武藤礼子の手づくりコンサート」という会を開いた。

塩まさる82歳。当日は台風一過の晴天で、客席は超満員。席の取り合いで怒号が乱れ飛んだ。ゲストに林伊佐緒さん、バイオリン演歌の桜井敏雄さん(岡晴夫さんの育ての親)、コロムビアから「愛のスイング」の池真理子さん、童謡の川田正子さん等が協力出演してくれた。以来ファンの皆様の熱望により、この会を隔年毎に開くことになった。

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根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。

 

林伊佐緒さん、塩まさるさん、筆者の写真

▲左から林伊佐緒さん、塩まさるさん、筆者

水島道太郎さん(右)の写真

▲水島道太郎さん(右)

 

こうした活動が実績となり、塩さんもマスコミに取りあげられるようになり、テレビの「徹子の部屋」にも出演するようにもなった。

私の道楽も、これでやっと塩さんに恩返しの真似事が出来た―と一人納得した。

 

高木東六さん(右)と筆者の写真

▲高木東六さん(右)

胡美芳さん(右)と筆者の写真

▲胡美芳さん(右)

 

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それ以後のコンサートは、塩さんの近所に住む八城幸吉さん夫妻の熱意で、益々盛大になり、私は知人だけは多いので、受付や裏方の仕事にまわることにした。

お陰で私もかって一世を風靡した多くの歌手の皆さんとの知遇を得て、楽しい日々を送った。

快く協力してくださった懐かしい歌手の皆様たち…思い出すままに列記させていただくと、毎回出演してくださった林伊佐緒さんを筆頭に、菊池章子さん、並木路子さん、菅原都々子さん、三船浩さん、白根一男さん…などなど。また別の機会に知り合った二葉あき子さん、胡美芳さん、三條町子さん、久保幸江さん、そして青葉笙子さん…などなど。こうして書いてみると、もう何人かのお人が鬼籍に入っている。

歌わぬはず、なのに軍歌、軍歌

塩さんが85歳になった折、四谷駅前「スクワール麹町」でパーティを開いたことがあった。ゲストに「水色のワルツ」の作曲家・高木東六さん。そして「高原の旅愁」「さくら貝の歌」「山のけむり」の作曲家・八洲秀章さん。冒頭に塩さんが「山のけむり」を歌って会が始まった。

メインゲストの高木東六さんは、大の軍歌嫌いで、「軍歌は歌わない」という約束で出席していただいた。ところが司会者が、「高木先生は軍歌がお嫌いで、一曲きり作曲していません。それがこの『空の神兵』です」と話し終わった途端、メロディーが会場に流れ、♪藍より蒼き 大空に 大空に…期せずして会場一体となっての大合唱。

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この辺りから雲行きがちょっと怪しくなって来た。続いて林伊佐緒さんが「わーが大君に召されたる…」の「出征兵士を送る歌」をメロディにのって、朗々と歌い出した。この歌は、昭和14年、当時の大日本雄弁会講談社の懸賞募集当選歌であり、陸軍省選定となり、作曲は林さん自身のもので、戦時下の歌として広く歌われたのは周知の通りである。この日林さんは乗りに乗って六番までの長い歌詞を全部歌いきった。

 

私は、おそるおそる近くのテーブルの高木東六さんの顔色をうかがわざるを得なかった。

もう一人のゲストに八巻明彦さんがいた。

私も過去に数回お会いしていて旧知の存在だったが、知る人ぞ知る軍歌の研究の第一人者で、その八巻さんが突如席から立って、「集合!」と大声を発した。あれよあれよと思う間もなく、テーブルのあちこちから、七、八人の男達がわらわらと集まり、八巻さんの前に整列した。

「北支派遣軍の歌、はじめーっ!」私はただオロオロするばかり。♪御稜威(みいつ)の下に丈夫(ますらお)が一死を誓う皇軍(みいくさ)の…たしかこの歌は堀内敬三さんの作詩作曲だったと思うが、かって、北支派遣軍に所属した戦友会の人々の歌声に、会場も呼応して大コーラスとなった。

それからは肩を組んでの軍歌、軍歌、軍歌。

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菊池章子さん(左)と筆者の写真

▲菊池章子さん(左)

宴の終了後、私は高木東六さんに平身低頭謝った。しかし流石に高木先生、笑顔を絶やさず、「いやあ、楽しかったですよ」とフォローしてくれて、ほっと胸をなでおろす一幕だった。

塩さんの会は、塩さんが90歳になるまで続き、「塩まさる90歳の青春」は、北区王子の北とぴあ・桜ホールで盛大に開催された。

なつメロ歌手総出演。バンドも豊岡豊さんのフルバンド(これが素晴らしかった!)。ちなみに豊岡さんの奥さんは、往年の名歌手・伊藤久男さんのお嬢さん―と聞いている。

私の道楽から始まったなつメロに浸った日々を今、懐かしく思い出している。

昨年11月7日に亡くなった胡美芳さんとも親しくさせていただいた。あの人、この人、思い出は到底書きつくせない。

ひとつ心残りは、やはり親しくなった往年の二枚目スター水島道太郎さんと、「映画・流行歌で紡ぐ『昭和ノスタルジー』」というような会を立ちあげようと、何回かお会いして打ち合わせをしたが、急にご病気になったという話が伝わり、水島さんは平成11年87歳で鬼籍に入ってしまい、計画も夢と消えた。

一方、高木東六さんは、平成18年102歳の天寿を全うしている。様々な人との出会い―そして別れ。今なお思い出の中に甦る多くの懐かしい歌声は、私の胸の中であたたかく生き続けている。

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