夢見る頃を過ぎても(31)
冬至に思う… もういくつ寝るとお正月
根本 圭助
昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。
泥葱の肌つややかに剥かれけり 呉夫
今年も残り少なくなった。あちらこちらで枯葉が舞っている。
枯草の美しさに、ふと散歩の足がとまることも多い。寒々とした野面、真っ赤な夕焼け空に木守柿(きもりがき)がシルエットになっているのも良い風情だし、葉を落とした木々の冬芽が、真冬の寒さに耐え、春を待つ姿が健気で愛らしく感じられる。
「もういくつ寝るとお正月 お正月には凧(たこ)あげて 独楽(こま)をまわして遊びましょう 早く来い来いお正月」
明治時代に作られた古い童謡だが、今年も早いもので、この歌の季節を迎えてしまった。
作曲は「荒城の月」の滝廉太郎である。
友人と、「こんな風にお正月を楽しみにしていたのはいくつ位までだったろうね」と話し合ったが、「お年玉をもらえるまででしょう」と意見が一致した。 私の場合、国民学校(小学校)5年生の時が終戦で、その前から、空襲だ、疎開だ、といった時代で、戦後は飢えとの戦いで、正月どころではない年を何回か経験した。
このシリーズで、「50歳にしてもらった忘れられぬお年玉」という文を書いたことがあったが、これを除いて幼時の頃以来、お年玉をもらった記憶はあまり無い。
3人の子供は成人し、孫も2人は社会人になった。今は他のまだ幼い3人の孫でお正月はそれなりに忙しく過ごしている。
「年をとっても小遣いはかなり要るんだなあ」というのが実感である。
一陽来復の日
「一陽来復」という言葉があるが、新年の季語とばかり思っていたら、冬至のことだということを最近教えられた。
冬至までは一日一日と日が短くなっていったのに、この日を境に日脚は少しずつ再び伸びはじめ、陰がきわまって陽に転ずる目出度い日だからという。
古来農耕民族は、「太陽のよみがえる日」としてこの日を重視して来た。
冬至の太陽は、最も高くなる正午頃でも高度角は約30度。これは夏至の午後4時半頃の高さに相当するそうで、太陽高度が低いと、光は大気層を斜めに長い距離を通ってくるので、青系統の色を失い、ビルの壁面が、真昼でも夕日に照らされたように赤みを帯びて輝いていることに気がつく。
冬至には地方によっては冬至がゆを作ったり、冬至カボチャを食べたり、ほんのり甘い香りを楽しみながら柚子(ゆず)湯に入ったりする。
柚子湯に入ると、一年中風邪をひかないともいわれるが、湯舟から立ち昇る柑橘類の香りはたまらなく心地良い。
忘年会に疲れた胃に「冬至がゆ」は美味に沁みるし、これは冬のみに味わえる醍醐味といえよう。
しかし、冬至に「柚子湯」に入るようになったのは、銭湯が出来てからだそうで湯治と冬至が語呂合わせにもなっている。そういえば、本紙が発行されるのは今年の冬至と重なっているようだ。
枇杷の花を詠んだ歌
おでんや鍋物がおいしい季節になった。前にもあるいは書いたことがあるかもしれないが、辻嘉一の「現代豆腐百珍」という本の序に書かれた大好きな久保田万太郎の言葉がすらすらと口をついて出てくる。
「身の冬の とどのつまりは 湯豆腐の あはれ火かげん うきかげん 月はかくれて あめとなり 雨また雪となりしかな しょせん この世はひとりなり 泣くもわらうも なくもわらうもひとりなり」
北国からは毎日のように雪、雪、雪の便り。そこへこんな言葉を口ずさむと、寒さがひとしお身にしみてくる。 もうひとつこの季節には地味な枇杷の花が目に触れることがある。
「いつ咲いていつ散るやらん枇杷の花 尚白」
御承知のように枇杷の実が色づくのは初夏の頃だが、今頃から枇杷は花をつけている。
「枇杷の花咲いてこぼれて年は逝く」
そんな枇杷の花を手許の植物誌や俳句歳時記には、「寂しそうに咲く」「物しずか」「わびしいほどの花」「目立たない花」…そんな風に表現されている。花言葉は「温和」だという。
先日古い教科書にも枇杷の花を詠んだ歌が載っているのを見つけた。
明治43年文部省発行の『尋常小学読本巻八』「花ごよみ」とある。
「いつしか木々もうらがれて さびしきにはのさざん花や 北風寒きやぶかげに びわの花咲く年の暮」
この教科書は大正6年で終わっているというから、記憶に残している人は殆んど居ないと思う。
苦い?枇杷の思い出
枇杷のことを書いて、もうひとつ面白い出来事を思い出した。かなり昔の話である。
中学、高校と一緒だったS君が房総の農家に婿(むこ)入りした。そのS君から、「今年の枇杷は豊作で美味だから、ぜひドライブかたがた取りに来てほしい」という誘いが何回も届いた。
あまりしつこいので別の友人T君の車でS君の家へ向かった。枇杷は結構高いからということで、それなりの土産を用意して出かけた。
見事な琵琶を美味しく馳走になり、三人で昔話に興じ土産の枇杷をもらって心持よく帰宅した。
数日してS君から手紙が届いた。何と手紙は全部ローマ字で綴られて居り、先日のお礼の後に何と枇杷の代金の請求書が加えられていて仰天した。かなりの額だった。先方で馳走になった分はサービスと記してあった。同行したT君はカンカンに怒り、「あの野郎!」ということになったが、しばらく友人の間でその話は持ちきりになった。
冬至が過ぎると光は春に向かうが、気温の寒さは一層きびしくなる。「冬至冬なか冬はじめ」という言葉さえある。
大晦日から元日へは、現代でも年中行事のなかで最大の折り目である。一年を振り返って、様々な思いが身体中をかけまわる。
年賀状が届く季節は、年賀状を用意する季節でもある。気にかけながら、一日延ばしになりがちな作業を今年もくり返すのだろうか…。
童心にかえって昔のお正月を思い出していただけるよう先月に続いて太田じろう先生の楽しい絵をカットに使わせていただいた。
「もういくつ寝るとおしょうがつ…」