「私の昭和史(第3部)―昭和から平成へ― 夢見る頃を過ぎても」は昭和ロマン館館長・根本圭助さんの交友録を中心に、昭和から平成という時代を振り返ります。

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夢見る頃を過ぎても(50)

北海道・札幌にまで広がった読者に感謝

根本 圭助

昭和10年2月、東京・南千住に生まれる。第二瑞光国民学校4年生の時罹災。千葉県柏町に移る。小松崎茂に師事。主な仕事は出版物、及び特にTVキャラクターのマーチャンダイジングのイラストで幅広く活躍する。現在松戸市在住。小松崎茂作品を中心に昭和の雑誌文化を支えた挿し絵画家たちの絵を展示する「昭和ロマン館」館長。現在は、「昭和の杜博物館」理事。

出版パーティで、左から高原晃さん、著者、高木ブーさんの写真▲出版パーティで、左から高原晃さん、著者、高木ブーさん

松の内もあっけなく過ぎて、日々の流れも加速度を増してきた。

昨年6月に本紙に長く連載されてきたこの私のシリーズが単行本化されることになり、『忘れ得ぬ人々・思い出の風景』というタイトルで、北辰堂出版から出版された。

当初こんな大冊になるとは想像もつかなかったが、月1回の連載とはいえ、何分にも10年の長きにわたるものだったので、総ページ619ページという厚さだけでも4センチ強の厚い本になってしまった。

6月10日には、市ヶ谷の「アルカディア」で200人近いお人が集まり、身に余る立派な出版パーティを開いてくださって、力を貸してくださった友人、知人はもとより、毎月愛読してくださって応援してくださった多くの読者の皆様にも感謝感謝の1年であった。

特に写真の黒須路子さん、臼杵展子さんには毎月本紙を親しい友人や知人に送ってくださり、特に黒須さんには札幌の方にまで読者の輪を広げていただいた。また、本紙のホームページで読んでいただいている読者も全国におり、お便りをいただいたこともある。

バンドまで引き連れて司会を務めてくださった高原晃さん…書き出したらきりがない。

先日、その黒須路子さんから、なつかしいパントマイムのマルセル・マルソーの東京公演の際のプログラムを拝受した。

マルセル・カルネ監督の第二次大戦下の傑作「天井桟敷の人々」で主人公バティストを演じたバローのパントマイムに熱中した若き日を思い出して胸が熱くなるプレゼントだった。手許の記録では、バローが夫人のマドレーヌ・ルノーとともにオデオン座の団員を引率、巡業公演ではじめて来日したのはたしか昭和30年頃で、若き日の私は小遣いをはたいて公演に駆けつけた日を懐かしく思い出した。

そして関連して2人のちょっと変わった女性を思い出した。

 

左から臼杵展子さん、著者、黒須路子さんの写真▲左から臼杵展子さん、著者、黒須路子さん

ずっと後になるが、その頃年に1回ぐらいだが伊丹市梅木という所から私の家へ絵本を見に来る女性がいた。もう古い話なので実名を記してしまうが、堀田裕子さんという女性で、熱心な「絵本」のファンで、私が集めていた古い絵本をわざわざ見に来ていた。

時としてイケメンのボーイフレンドと一緒に来たこともあった。当時私の家には10坪ほどの書庫があったが、その部屋へこもっては熱心に絵本を見ていた。

その彼女がマルセル・マルソーの熱烈なファンであり、パリまで追いかけていって、ついには訳ありの仲になったという噂を風の便りで知った。私の家へは数年続いて訪れたが、そういえば、時折来ていたパリからの便りがぷっつりと来なくなって消息も絶えた。

もう一人の女性は松江市から来た西山恵美子さんという女性で、この方は京都のお寺の出身で松江へ嫁いだと聞いたが、若い頃シュトルムの「みずうみ」を読んで感動し、大人になって落ち着いたら、ゆっくり読もうと思ったが、改めて読み返すと、若い頃の感動が甦らないので自分自身が不安になり、幼児の頃の「絵本の時代」にさかのぼり、失った感受性を取り戻したいと言って、誰に聞いたのか、わざわざ飛行機に乗って私に会いに来た。

 

ウルトラマンダンディきくち英一さん(中)、桜井浩子さん(右)の写真▲ウルトラマンダンディきくち英一さん(中)、桜井浩子さん(右)

最初電話で、その旨を伝えて来たので、「そんな大したコレクションではない」と言って断ったが、結局私の言葉は受け取ったものの、やっぱり訪ねてきた。

それからまた時が流れて、私が松江市で講演会を頼まれた折、そんな話をしたら、よんでくださった松江市の職員の方がすぐ探して連絡をしてくれて、宍道湖の湖畔のホテルのロビーで十数年ぶりで再会した。

一期一会というが、私はこの西山さんとは二度お会いした訳で、人とのつながりは本当に不思議なものだと思わざるをえない。

 

5か月の休載にお詫び

話は再び昨年に戻るが、6月の出版パーティの後、私は両眼の白内障の手術をした。

その頃再びひどい腰痛で苦しみ、原因は加齢によるものと病院で言われたが、念のため胃カメラと腸の内視鏡検査を受けることになった。

ところが腸はまったく異常がなかったが、思いがけず食道にガンの疑いありという報告をもらってしまった。

 

元日劇MHのお二人、小浜奈々子さん(左)、若山昌子さん(右)の写真▲元日劇MHのお二人、小浜奈々子さん(左)、若山昌子さん(右)

長寿社会を迎えていると言っても、来月には81歳を迎える身にとってみれば、何が起こってもちっとも不思議ではないと覚悟している。

実は、食道ガンの方は続けて3回も胃カメラで検査をしたが、まだ結論が出ないで、今月22日に4回目の胃カメラの検査をすることになっている。本紙が発行される頃には白黒の結論が出ているはずで、少し強がりを言っているが、やっぱり何となく落ち着かない毎日を送っている。

荒川区主催の「小松崎茂展」が10月から12月にかけて開かれ、その上忘年会も全部で10以上のお誘いがあったが、その中で7つだけ出席した。新年会も2つ出席した。

「呼んでくれるうちが花」│と友人に言われたが、やっぱり年相応にセーブをしなくてはいけないと自戒しつつも、ついつい断りきれずに出かけてしまうことが多い。

そんなこんなで昨年後半はばたばた落ち着けず、本紙の連載もずっと休ませていただいた。励ましのお便りも何通か届き、こんな拙文を楽しみにしてくれている人もいてくださると思うと、有難さで手を合わせる思いで感謝している。

 

荒川区で開催された「続・下町の空想画家 小松崎茂展」のチラシの写真▲荒川区で開催された「続・下町の空想画家 小松崎茂展」のチラシ

先日、久しぶりに親しい人たちと連れ立って正月で賑わっている浅草へ出かけた。木馬亭で毎月公演している「浅草21世紀」のドタバタ喜劇を観てきた。

数日後、仲間のメソポ田宮文明君に誘われて亀有で、「人生の約束」と「母と暮せば」の2本の映画を欲張って観てきた。

「人生の約束」の石橋冠監督は、テレビドラマで大ヒットした「池中玄太80キロ」を監督した方だが、映画の監督は初めてと聞いていた。前述の私の本を出版してくれた北辰堂出版の今井恒雄会長の学生時代からの友人だそうで、「是非観てくれ」と今井会長からお知らせをいただいていた。ダイナミックな富山・新湊(射水市)の曳山(山車)祭の映像は迫力満点で楽しく観させていただいた。

テレビ界では監督として知る人ぞ知る巨匠なので、この映画には竹野内豊をはじめ、西田敏行、江口洋介、ビートたけし等そうそうたる俳優が集まってきたという。

「母と暮せば」は皆様ご存知の方も多いと思うが、井上ひさし原作で黒木和雄監督で撮られた「父と暮せば」のオマージュだが、山田洋次監督が、いつものように手際よくまとめていた。近頃私もかなり感受性が鈍くなったようで、心の深いところまでは届きそうで届かなかった。

5か月の休載を心からお詫び申し上げて。今年もどうかよろしく―と皆様の御寿福をお祈りしつつ、今月はこの辺で。

 

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