松戸よみうりロゴの画像

>>>チューニング最新号(第791号〜)に戻る

>>>チューニング第771号〜第790号はこちら

>>>チューニング第751号〜第770号はこちら

>>>チューニング第731号〜第750号はこちら

>>>チューニング第712号〜第730号はこちら

>>>チューニング第691号〜第711号はこちら

>>>チューニング第671号〜第690号はこちら

>>>チューニング第651号〜第670号はこちら

チューニングtitle

2007年(平成19年)6月24日《第650号》

この原稿を書いているのは、22日の午前9時。松戸よみうりは、発行前の金曜の午後2時過ぎから印刷し、夕方までに各販売店に届けられる。土曜日に折り込みの作業があるからだ▼1面の記事には、参院選の投開票が来月29日になったと書いているが、実のところこれは「予定稿」。22日朝刊で各紙とも「確定的」に伝えているが、22日の衆議院本会議で国会の会期延長が議決され、参院選の日程は近く開かれる閣議で正式決定する▼「まさかさらに変更なんてことは…?」と、こんな時不安になる。ならば、「29日になる見込み」と書けばよさそうだが、国会で議決された後に「見込み」というのもマヌケである。日刊紙なら直ぐに訂正がきくが、隔週刊で、さらに印刷から発行までのタイムラグがある弊紙のような新聞はこんな時困る▼日程変更で様々な影響が出そうだ。既に22日と印刷した選挙関連のポスターや看板などは、刷り直したり、上から別の紙を貼ったりという作業を余儀なくされる。公的なものは税金から印刷費が支出される。参院選と同日に選挙をし、経費を浮かせようとしていた千葉県神崎町の町議選も29日に変更になるという▼国会の延長にもお金がかかる。安倍首相は天下り規制、年金、社保庁、政治とカネに関する法案を通したい考え。選挙目当てではなく「国民のため」を強調するが、「強行採決」を連発してきた今までの姿勢を見ると、本当に審議が尽くされるのか、と疑問。国民が求めているのは「早期成立」ではなく「より良い法律」だと思うが。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)6月10日《第649号》

陸上自衛隊の「情報保全隊」がイラク戦争への自衛隊の派遣に反対した市民運動や、ジャーナリストの活動などの情報を広範囲に収拾していたという。内部文書を入手した共産党が6日、記者会見をした▼全国289の個人や団体が対象で、高校生の反戦集会や、駐屯地前で取材をした新聞記者や派遣に批判的な発言をした民主党議員の名前、共産党の機関紙に批判的な文書を寄せた映画監督の山田洋次氏の名前もあったという。これらの活動や発言は「反自衛隊活動」と見ているようだ▼「情報保全隊」はもともと自衛隊内での情報漏洩(ろうえい)を防止するために設けられた機関で、「市民活動の監視は違法行為」との指摘もある。反対する人たちの中には中途半端な形で派遣される自衛隊に同情的な人たちもいた。「反自衛隊」とは短絡的な▼自衛隊は政治的には中立で、市民を守るのが役目のはず。仮に共産党が政権を取ったとしてもその命令に従うのが原則。2大政党制が進むなか民主党が政権を担うこともありうる。その時、意にそぐわない政権には従わない、というのだろうか。それでは、時の閣僚をクーデターで抹殺した戦前の日本軍と変わらない。言論や市民活動の監視というのも戦前を思い起こさせて、気持ちが悪い▼自衛隊は良い意味で「意思がない軍隊」だと思っていた。民主的に選ばれた政権に忠実な部隊。しかし、ある種の「意思」は存在しているようだ。「軍隊」とはそうしたものか。自民党は憲法改正と自衛軍の創設を目指しているが、こんなことで大丈夫なのか。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)5月27日《第648号》

飼っている三毛猫が今月で12歳になった。1995年7月23日号に里親募集の記事が載った猫だ▼読者から応募があるかも、と思い、少し遠慮して、1週間程経ってから電話したところ、「まだ応募がない」とのことで、私がいただいた。投稿された方のマンションの駐車場に、捨てられていたとのこと。「生後2か月」というのも推定で、「5月生まれ」というのも推定である▼3歳になるころ、熱を出して入院した。医者からは、生まれつき肝臓が小さく、機能が落ちている、と言われた。知人の勧めもあって、ペットフードを米国産の添加物の入っていないものにかえた。少々高いが、これが功を奏したのか、大病をしなくなった▼猫の12歳とは、人間ではいくつぐらいになるのだろうか。諸説あるようだが、行きつけの病院の年齢表には、64歳とある。もう、おばあちゃんだ。私の経験だと20歳までは生きる、と思っているのだが、表では96歳ということになる▼1日でも長く生きてほしい。世のなかには36歳まで生きた猫もいるというから、期待したい。子猫の時から、「いつか別れが来る」ということを、心のどこかに留めてきたように思う。それがいつ来てもいいように、ゆっくり心の準備をしながら。自分が子供のときはこういうことはなかった。猫と同じぐらいの年月しか生きていなかったためだろう▼私の命だって、いつ尽きるかは分からない。明日生きている保証はどこにもない。身近な動物は、命には限りがあるということを、常に教えてくれている。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)5月13日《第647号》

みなさんは何歳ぐらいから記憶があるだろうか。さくらももこさんの『おんぶにだっこ』(小学館)を読んでいたら、2歳ぐらいの出来事を書いたものがあり、よくこんなに細かく覚えているなぁと感心した。さくらさんは、幼少期に悩みや不安をいつもかかえていたという▼私も「よくそんな小さい頃のこと覚えているね」と人に言われる。私の場合は身体が弱く、2歳ぐらいから入退院を繰り返していたので、特別な体験が記憶につながったんだろうと思っていた▼幼稚園には行っていなかったが、『幼稚園』(たぶん小学館の学習雑誌)を読んでいた私に、母が「来月からは『小学1年生』を買わなきゃね」と言った。3月号だったのだろう。私はにわかに泣きだした。今まで読んでいた雑誌にもう会えない、と思ったら、急に寂しくなったのだ。新しい雑誌が来るのに…、母からしたら、なぜ泣くのか分からない▼1年遅れで小学校に上がった私は、ストーブ当番(当時はまだ石炭ストーブだった)の時に、マッチが切れていることを先生に言えず、やはり職員室で泣いた。この時は、先生の前に立ったら言葉が出なくなった▼母はどちらかというと楽天的なところがあり、早く母のような大人になりたいと思った。いろんなことを気にせずに暮らしたい。そうしたらラクだろうな、と。かくして大人になった私は、ラクになった。楽天的ではないが、鈍感とも違う。周りが見えるようになった分、悩まなくなった。よく、若いことは良いことのように言われるが、歳を重ねることも悪くない。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)4月22日《第646号》

私はよく扁桃腺をはらして熱を出す。今も38度以上あり、少々頭がボーッとしている。「ポカリスエットは飲む点滴だからね。よく飲んで」と病院で看護師さんに言われた▼思えば昔はポカリスエットが苦手だった。大学1年の夏。私はサークルの友だち3人と、房総半島の千倉に海水浴に出かけた。夜中に出たら夜明け前に着いてしまい、海岸近くにある神社などを歩いて時間をつぶした。私は旅の安全をお願いした▼日が高くなり、海水浴客がチラホラと見えはじめたころ、私たちは沖でプカプカ浮きながら遊んでいた。友だちが「ゴーグルを取ってきて」と言うので、私はいったん浜に戻り、また沖に向けて泳いだ。真っ直ぐ泳いだつもりだったが、潮の流れが速く、私はカーブして友だちから離れていった。泳いでも泳いでも離れていく。疲労で体が重い。大きな波をかぶった瞬間、水を飲んでしまった▼おぼれる! もう恥も外聞もない。私は大声で助けを呼んだ。「大学生、海でおぼれる」の小さな新聞記事が脳裏に浮かんだ。2浪もして大学に入って、これで終わりか…。母に申し訳ないなぁ。受かった時、あんなに喜んでくれたのに…。沈みながら、そんなことを考えていたら、友だちの一人が助けにきてくれた。彼は水泳が得意。神様のように見えた▼なんとか助け出され、浜辺で思いっきり海水を吐いた。そして、友だちが差し出してくれたのが、ポカリスエットだった。この時のポカリのうまかったこと。再び足が砂浜についた時の足の裏の感触とともに、忘れられない。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)4月8日《第645号》

取材を終えて関さんの家の門を出ると、ヒラヒラと桜の花弁が目の前に落ちてきた▼樹齢100年のソメイヨシノは満開で、薄いピンク色の天幕を作っている。ソメイヨシノの寿命は60年程だというが、まだまだ樹勢は衰えていない。目の前の梅林では、鶏(チャボだろうか)4羽が土をつついている。ときおり、森の方からウグイスの鳴く声が聞こえる。のどかで、静かな午後。時を忘れてしまいそうだ。ここを全てつぶして道路を作る計画があるなんて、とても信じられない▼帰路は国道6号線から、問題の都市計画道路の既に完成している部分│松戸東署前、21世紀の森と広場の陸橋を通る。6号線を右折する時、バイクを右に倒しながら後ろを振り向いた。すると、建設現場のフェンスの隙間から、関さんの森に隣接する遊び場の大木が見えた。こんなに近くなんだ…。もし、道路が計画通りにできれば、あそこまでほんの数秒で行ける。確かに便利であることは間違いない▼この道路に限らず、道路は1本でも多い方が便利。現代社会は、この「便利」を追求し続けてきた。人生は短い。時間を短縮できれば、豊かな暮らしがしやすいと信じていた。だが、騒音や大気汚染、交通事故も生み出した▼何百年もかけて森を育んできた木々も、切られるときは一瞬だ。再生させるには、気の遠くなるほどの時間が必要となる。この道路計画ができたのは昭和39年。東京オリンピックの年だ。人々の生活や環境、価値観も大きく変わった今、果して本当に必要なのか、の想いは強い。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)3月25日《第644号》

東京の桜の開花は18日―。前号で気象庁の開花予想を載せたが、コンピューターの入力ミスで、21日に訂正。その後、23日と修正された。実際には20日に開花。記録的な暖冬で、開花も記録的な早さに? という予想もあったが、過去3番目の早さだった▼松戸の桜は、というと、通勤途中に見る稔台小の桜は(23日朝)まだ咲いていないようだった。きょうあたり、開花しているだろうか。1週間で満開になるというから、桜まつりは意外に満開で、今年は「当たり」かもしれない▼今春は花粉症になった。2年前から「そうかな」と思っていたが、今年は本格的に発症した。くしゃみと鼻水で集中できない。仕事にも支障をきたすし、花粉症が経済に多大な損失を与えている、という説を身をもって体験した▼子どものころ大分県の山間の町に住んでいて残念だったのは、秋になっても山が紅葉しないこと。植林でほとんどの山が杉山に変わってしまった。しかし後に海外の安い材木が流入し、日本の材木は売れなくなり、手入れのされない杉山だけが残された▼川の風景がつまらなくなるのも残念な想いで見ていた。緑の岸辺は、すべてコンクリートで固められた。高校の時、台風による大雨で、学校の周りの橋が全て水に浸かり、帰れなくなった。町は未曾有の大被害。あの護岸工事は何だったのか、と虚しい想いだった▼税金をつぎ込んだ国家政策で、日本の美しい風景が壊され、花粉症が生まれた。地球温暖化はもっと大きなしっぺ返しを用意しているのでは、と怖い。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)3月11日《第643号》

深夜にテレビを見ているとSMAPのクサナギくんが地デジ(地上デジタル放送)のCMに出ている。政府広報的な穏やかな感じで「ご理解、ご協力を」と言っている(正確には覚えていないがこんな感じ)。クサナギくんは嫌いではないが、ご理解、ご協力をって言われてもなぁ、と少々納得いかない気分に▼地デジのメリットは高画質や双方向放送が可能になることなど。今のアナログ放送は、2011年7月24日で完全に終わり、デジタル放送になる。つまり、今見ているテレビはあと4年で使えなくなるのだ。地デジ用のテレビを買うしかない。今のテレビを使い続けるには、チューナー(2〜10万円程度)を購入しなくてはならない。アンテナもUHF用に換えなくてはならないし、ビデオデッキも今のままでは使えなくなる▼お金のない人はどうするのだろう。携帯電話も使えないお年寄りはアタフタするんだろうなぁ。1億台もあると言われる今のテレビはほとんどがゴミになるのか…。あぁ、もったいない。家電業界はテレビの買い換えラッシュでウハウハだろう▼いつの間にこんなことが決まったのかというと、01年7月の電波法改正。当時の首相は小泉純一郎氏。小泉嫌いの私は、またぞろ小泉政権の弱い者いじめと、大企業大好き体質の帰結か、などと考えてしまう▼レコードがCDに代わり、携帯電話が普及した。デジタル化の波は今までもあったが、選択肢もあった。今でも携帯電話を持たない人はいる。地デジの有無を言わせない感じが、どうも気に入らない。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)2月25日《第642号》

昨年生まれた子どもの数が一昨年よりも約3万2千人多かったそうだ。厚生労働省の速報で分かった。合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数)も一昨年の1・26から1・3台に回復する見通しという▼こういう報道が新聞やテレビですぐ流れるというのも、いかに世の中が出生率に敏感になっているか、のあらわれのように感じる。模試の偏差値に一喜一憂する受験生のようだ。思えば「女性は産む機械」発言で問題になった柳沢厚労大臣の頭の中は、こういう数字でいっぱいだったのだろう。しかし、敏感になっているのは「子どもは国の宝、日本の未来だから」という甘美な理由からではなく、「将来の年金を支えてもらわなきゃ!」という大人の現実的な思惑が見え隠れするところが切ない▼かく言う私は、不惑を迎えたのにいまだ独身という状態で、出生率アップには一度も貢献したことがない。「どうして結婚しないの?」「高望みしすぎだよ」などなど、20代からこの歳になるまで、いろんなことを言われてきた。時に苦痛に感じることも。本当は、結婚したくないわけでも、独りでいる人生を選択したわけでも、ない。ただその時々を自分なりに生きてきた結果が今なのだ。「その人」が現れなかっただけ。むしろ、どんなにヘチャムクレで性格が悪くても、ほぼ全員が結婚できた親の世代のほうが不自然に思える▼生き方が選べるというのは、この国が自由で民主的になった証拠だと思う。国は、安心して産み育てられる環境を整備してくれさえすればいい。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)2月11日《第641号》

私の家に黒猫が住み着いて1年半になる。一昨年の夏窓の隙間から、なかば強引に入ってきた。10年近くいっしょに暮らしているミケ猫もさして嫌がる様子もなく、人なつこかったので、同居を許すことにした。どこかの家で飼われていたらしく、トイレのしつけも去勢手術も済んでいる(本紙に迷い猫の情報を載せたが、飼い主は見つからなかった)▼が、しばらくすると私は少し後悔するようになった。とにかくがさつで落ち着きがない。掃除しても部屋がすぐ汚れる。ミケのことをウーッとうなって威嚇(いかく)してみたり、えさはあるだけ食べてしまう。夏だというのに、寝てる私にベタベタくっつきたがるものだから、暑くて寝られない。それに何より能面のように顔の表情がない。つまり、さわがしく、大食いで、ベタベタして、顔が可愛くない、のである。思えばあのころは、私&ミケvs黒猫という感じだった▼それが、いつのころからか、黒猫が可愛く思えるようになってきた。自分でも不思議だったが、黒猫の表情が豊かで、まるくなっていることに気がついた。猫の表情にこれほどの変化があるとは、本当に驚きだった。私の気持ちが穏やかになるにつれ、黒猫の表情も益々豊かになり、バカ食いもしなくなった。今ではミケとも仲がいい▼どれくらいの期間ノラ猫だったのかはわからないが、いろんなことがあったのだろう。環境やこちらの接し方で相手も変わる。猫も心の動物。人間と同じだなぁ、とつくづく思う。また、猫に大切なことを教えられた気がする。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)1月28日《第640号》

今年の冬は暖かい。やっと最近冬らしい寒さになってきたが、それでもいつもの年より着るものが1枚少なくて済んでいる。私は取材などで真冬でも原付のバイクを愛用しているので、特にそう感じるのかもしれない▼思えば、昨年の冬は厳冬だった。秋の声を聞くやいなや冬の寒さになり、春までの時間がとても長く感じた。新年号の企画で流山電鉄沿線を取材した。日中でも薄暗い山や林に入ると、冷凍庫の中にいるようだった。晴天でもビニールの雨ガッパを着用。これでだいぶ寒さをしのげた▼「すみません。そこのお地蔵さんのことで、うかがいたいことがあるのですが…」と、ある家を訪ねると、中からご婦人が出てきて「よく分かりません。すみません」と言って、話もそこそこにドアを閉められてしまった。中年の男が真昼に鼻をたらしながら、雨でもないのにカッパを着て、首にカメラをぶら下げて玄関前に立っている。しかも外のお地蔵さんがどうとか、訳のわからないことを言っているのだ。考えてみれば、相当に怪しい。警戒されるのも無理はない▼それにしても、今年の暖冬は世界的で、アメリカの西海岸では、Tシャツ一枚で歩ける日があるというのだから、日本の比ではない。先日、ブッシュ大統領が、地球温暖化対策のため石油の使用量を減らしていくと演説、国連もこれを評価…というニュースを耳にした。アメリカは「京都議定書」も無視して、温暖化対策には消極的だった。ここまできて、やっと気づくとは、鈍感というか、利己的というか…。

▲ このページのTOPへ ▲


2007年(平成19年)1月14日《第638・第639合併号》

今年の給与明細はどうなる? そんな不安な気持ちで新年を迎えた方も多いのでは▼今年は定率減税が廃止に。配偶者控除も縮小、廃止へ。ホワイトカラーエグゼンプションという舌をかみそうな名前の制度も検討されている。年収が一定額を超える人の残業代は払わなくていいという制度。こちらは、与党が夏の参院選をにらんで二の足を踏んでいる。「選挙さえ終われば」というのは、ずるい。選挙後には消費税アップも本格的に議論するという▼障害者自立支援法は、障害者の自立の妨げに。母子家庭への助成も減らされる。一方で企業減税。企業が潤えば社員にも、という理屈のようだが、昔とは違い収益が給与に反映されるとは限らない。小泉「改悪」の結果、アメリカ型弱肉強食社会が到来しつつある▼安倍内閣では、暮れに佐田行革相が事務所経費の不明瞭会計で辞任。今年に入っても松岡農水相、伊吹文科相に同様の疑惑が。億とか数千万という庶民なら宝くじでも当たらなければ手にできない大金を不正に得ていた可能性がある。地方議員の政務調査費の不正使用も問題。国民に負担を強いる前に出口をしっかり閉めなければ、納得がいかない▼それでも選挙では与党が勝つんじゃないか。野党も迫力不足。「国民はそんなにバカじゃない」と、こんな声も聞こえてきそうだが、衆院選で与党に圧倒的議席を与えたのも国民。防衛省誕生、教育基本法改正と、歴史的重要法案が「いつのまにか」成立した。このまま憲法改正まで突き進むのか。国民の選択も正念場に来ている。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)12月10日《第637号》

先月23日、作家の灰谷健次郎さんが食道がんのため亡くなられた。享年72。代表作「兎の眼」や「太陽の子」が強く心に残っている▼数年前、取材で知り合った方に「灰谷さんと飲むんだけど、来ない?」と誘われ、松戸駅前の居酒屋にでかけた。その方と灰谷さんは仲がよく、よく飲むのだという。年末で、締め切りに追われていたが、「せっかくだから」と若い記者2人も連れて居酒屋に入った。お二人はまだ来ていなかった▼灰谷さんの作品からは人を見ぬく鋭い眼を感じる。私は少し緊張しながら待った。「命」と「子供」を真ん中に置いた温かい作品。小さな出来事をていねいに描きながら、最後は大きなテーマに昇華していく。構成力がすごい、と思っていたが、17年間、小学校教師をしていた灰谷さんにとっては、子供から学んだことをつづったもので、意図したものではなかったのかもしれない▼1時間程待ったが、お二人の姿が見えないので、「待ち合わせをしているんですが」と店の人に話したら、「ついさっきまでいたのに!」と言う。実は、この居酒屋は厨房をはさんでコの字型をしていた。灰谷さんたちは私たちと反対側に座っていたらしい。向こうも、私たちが来ないと見て、2軒目の店に移動した後だった。はしご酒が常だったという。後日「また来るから」と知人の方に言われ、私もそのうち機会が、と思っていたが、結局、それきりになってしまった▼人生一期一会。会えるときには、会っておかなければ。灰谷健次郎さんのご冥福をお祈りいたします。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)11月26日《第636号》

大臣のお出迎えに4万円、エレベーターのボタンを2回押しただけで1万5千円…。いいなぁ。そんな仕事だったら私もやってみたい▼22日の参院教育基本法特別委員会で、民主党・蓮舫議員の質問により2003年の岐阜市の教育改革タウンミーティングでのお手盛りぶりが明らかに。タウンミーティングは1回開くだけで1000万円以上かかると言われ、どうして?と思っていたが、こういうことだったのか。このタウンミーティングでは、「やらせ質問」があったことも問題になっている。「国民からも教育基本法を変えなければ、という意見が寄せられている」という架空の事実をつくり出して、改正への道ならしをしようとしたのだろう▼一連の流れを見ていて思い出すのが、松戸市で01年から2年間行われた教育改革市民懇話会と、その後の学校選択制導入、小中学校の統廃合での大混乱だ。弊紙でもしつこく書いたから、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。市民懇話会で市民の意見を聞き、「松戸市版教育改革」をつくった、と市は保護者に説明していたが、実際には、市民懇話会の委員の方でさえ「そんなこと話したっけ」という記憶しかないぐらいの薄い議論で、具体的な内容にまでは踏み込んでいなかった。お役人のやり方というのは中央も地方も同じなのか▼教育基本法の改正案は衆議院を通過し、参議院に舞台を移した。成立は時間の問題なのだろう。こんなことで教育の「憲法」とも言われる基本法を改正してしまって、後世の人に笑われないだろうか。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)11月12日《第635号》

学校でのいじめを苦にした自殺の連鎖が続いている。文科大臣あてに自殺予告の手紙まで▼まだこんなことが続いていたのか。何も変わってないじゃないか、と思う。私が中学生のころ、テレビで「金八先生」の放送が始まった。校内暴力が話題になったころだ。私の通っていた学校では、ニュースになるような大事件はなかったが、陰に隠れたいじめはあった▼1年生の時の担任は、要領のいい子は持ち上げ、要領の悪い弱い子を皆の前で集中攻撃するような先生だった。私もターゲットにされたことがある。「なんかズレてんだよな、お前は」とよく言われた。お前こそズレてるだろ! と言いたい。この先生は後に校長になった。弱い子には冷淡だが、強い子には尻尾を振るような同級生がいた。彼は教育大学に行き、教師になった。学校が変わらないのは当然なのかもしれない▼成人して同級生の女の子に会った。「私、あんまり中学の同窓会に行きたくないのよね。いい思い出ないから」。活発な生徒だった印象がある彼女でさえ、息苦しく感じていた。彼女も教師になった。きっと生徒の心の痛みが分かる先生になったのでは、と思う▼国会は教育基本法改正の審議中。一方で教育改革に関するタウンミーティングで、政府に都合のいい質問を来場者に依頼したヤラセ疑惑が。法改正でいじめが減るのか? 文科省の統計ではいじめが原因の自殺は0。実態は隠ぺいされ問題は放置されてきた。そのツケを子どもたちが払わされ、命をかけて訴えている。今度こそ直視し、改革せねば。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)10月22日《第634号》

実家のある九州を英国人の友人と旅したことがある。目玉のひとつが長崎。観光もいいが、原爆資料館を是非見てもらいたいと思った。見学し、外に出ると、二人とも無口に。重い空気が晴れた空と対照的だった▼私は学校の社会科見学などで来たことがあり、初めてではなかったが、改めてショックを受けた。悲しくてしかたなかった。初めて原爆の生の資料を目にした彼はどうだっただろう。その後食事をしたが、彼も口が重く会話は弾まない。何かに想いをめぐらせているようにも見えた▼北朝鮮が地下核実験を行ったことで、波紋が広がっている。テレビが街頭で声を拾うと、何人かに一人は「日本も核兵器を持つべき」と話している。こういう人は、SF映画の中でだけしか原爆を見たことがないのでは? ほとんど被爆の現実が知らされないアメリカでは、今でも原爆投下は正しかったと信じられている。あれは一般市民を対象にした大虐殺だ。テロと言ってもいい▼原爆についての教育は地域や学校でかなり温度差があるように感じる。私が通った学校では義務教育の間に長崎、広島の原爆資料館を見学する。夏休みの登校日には、毎年記録映画などを見せられ、感想文を書かされたりした▼日本は唯一の被爆国だと言いながら、原爆資料館を訪れたことがない国民も多い。閣僚や与党の幹部でさえ、「核武装の議論はあってもいい」と言っている。「議論するのは自由」と言うが、議論の後に「持つべし」という結論が隠されているのでは? 言葉遊びのごまかしに聞こえる。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)10月8日《第633号》

皆さんはどの局のテレビ番組をよく見るだろうか。私の場合、あえて順番をつけるとしたら、NHK、テレ朝、TBS、テレ東、フジ、日テレという順になる。「視聴率の三冠」がどうだとか言っているフジと日テレが下位なのだから、多くの人の視聴傾向とは違うのではないだろうか▼私は故ナンシー関さんのコラムが好きだが、彼女はフジと日テレをよく見ていたようだ。逆にNHKはほとんど見なかったという。私がNHKをよく見るというのは、大分の山の中で育ったということも影響していると思う。田舎で東京のキー局と同じ番組が全部見られるのは、唯一NHKだけだ。TBSも古くから全国に系列局があり、NHKに準じる。テレ朝は「ニュースステーション」をよく見ていたからだと思う▼ところで、NHKが受信料の不払いを続ける都内の48世帯に対し、今月末までに支払わない場合は民事督促手続きに入るという。最終的には給与の差し押さえなど強制執行も可能とか▼オイオイ、である。まずやるべきことが他にあるだろう。不祥事が起きない体制を作ること。全世帯に契約してもらえれば、受信料はもっと安くなるはず。「NHKは見ない」という人だっているのだから、他の有料チャンネルや、イギリスのBBCのように、お金を払わないと見られなくする機械を取り付けるとか▼ほとんどの職員はまじめに頑張っていると思う。特にドキュメンタリーを作らせたらNHKの右に出る局はない。他にも地味だが良質の番組が多い。経営陣には熟考をお願いしたい。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)9月24日《第632号》

安倍晋三さんが自民党の新総裁に選出され総理になることが確実となった。思想的には、祖父の岸信介元首相の影響を強く受けているようだ。父ももう少し長く生きていれば、総理になれただろうという政治家だった。まさにサラブレッド。そういえば、小泉首相の祖父や父も閣僚経験のある政治家だった▼安倍さんや、小泉さんだけでなく、2代目、3代目という政治家は多い。親子、孫という関係だけではなく、兄弟や夫婦というケースもある。1億人を超す国民の代表は、衆参合わせても700人程度。できるだけ、多様な家庭から出てきたほうが民意が反映できると思うのだが▼私たち一般の国民の間でも、格差が拡大し、固定化していくのではないか、と懸念されている。一例をあげると、東大生のかなり多くの人が、高所得の家庭の出身だと言われている。なんだか、新しい貴族社会が生まれているようだ▼ひと昔前の受験戦争は批判もされたが、反面、民主的でもあった。どんな階層の人も努力すればいい大学に入れて「末は博士か大臣か」になれると信じられたから、競争も激しかったのだ▼貴族社会は必ず停滞する。戦国時代の下克上や、外国の植民地になる可能性のあった幕末には下級武士から優秀な人材が出た。戦後の厳しい時代もそうだが、日本人はピンチになると、幅広い階層から人材を求め、困難を乗り切ってきた。お金がなくても十分な教育が受けられ、人材が育つシステムを再構築しなくては。この国には「人」という資源しかないのだから。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)9月10日《第631号》

夏の初めのこの欄で自宅アパートのプランターできゅうりを作っているという話を書いた。今年は元肥に油かすを使ったところ、プランターの底の水はけ口からハエが侵入し、しばらくすると白い虫がはいだしてきて真っ青に…、とここまでを書いた▼その後、プランターからは腐ったドブのような恐ろしい匂いが漂いはじめた。虫はともかく、この匂いはマズイ。ご近所に悪い。私もこの匂いには耐えられそうにない。意を決して、プランターの底の油かすを全て除くことにした▼まだお隣さんも寝静まっている明け方、私は寝床から出て作業開始。プランター上部の土を取り除くと問題の油かすの層へ。白いものがうごめく様を想像し、ゾクゾクしていたが、意外にも、匂いの強い黒い層を注意深く見れば中に数匹見えるという程度だった。油かすを除きプランターを水で洗い、土を戻した頃にお隣さんも起きてきて無事朝のあいさつを交わした。後で油かすの袋に書いてある説明を読んだところ、1か月土と混ぜて発酵させたものを使わなければいけなかったようだ▼夏の間、きゅうりは驚くほど成長した。1階の窓はもちろん2階まで覆う勢い(中の階段でつながっているアパートで、2階もわが家)。「緑のカーテン」の役目を十分に果たしてくれた。多い日は、10本近くも収穫できるので、ご近所にもおすそわけ。これで臭い思いをさせた罪滅ぼし、というわけではないが▼肥料の使い方を間違っていたのに、こんなに育つとは。臭い思いをしている間に、土に養分が染みたのか。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)8月27日《第630号》

お盆にホラー映画をまとめて観た。映画の紹介欄を担当しているのでDVDはよく借りるが、ホラーはめったに観ない。別に嫌いというわけではない。ただ、内容的に紹介作品の候補になりにくいので、「仕事」としてはめったに観ない。ホラーを観るというのは、私にとっては純粋に「娯楽」ということになる▼子どものころは「エクソシスト」の悪魔ばらいや、吸血鬼を観て震え上がった。夜中に一人でトイレに行くのに、かなり勇気がいった。そのころから、私の頭には一つの疑問が浮かんでいた。私はキリスト教徒ではないから、悪魔も吸血鬼も関係ないのではないか。映画の中では、世界の終わりのように描いているが、その「世界」に、日本や自分は入っていないのではないか。悪魔にとりつかれることがないかわりに、吸血鬼が現れても、十字架を片手に退治することはできないだろう。ニンニクは有効かもしれないが…▼スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんがある番組で「お盆に亡くなった人の魂は本当に帰ってくるのでしょうか」と聞かれ、「実はお盆というのは、あまり関係ないのです。亡くなられた方が仏教徒であれば、『お盆には帰るものだ』と信じているから帰ってくるかもしれませんが。お盆に限らず、いつも供養して思い出してあげることが大切ですね」というようなことを話していた。なるほど、幽霊に宗教は関係ないのか…▼ところで、江原さんの隣に座っている美輪明宏さんも、どうやら「見える」らしい。いつそんな力を得たのだろう…。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)8月6日《第629号》

人は親を選べないし生まれてくる国も選べない。また生きる時代も選べないなぁとつくづく思う▼10代の頃はオレは絶対に時代に流されないゾ、と根拠のない自信を持っていたが、その舌の根も乾かぬうちにバブルの大波をかぶっていた。楽しんだ人もいるとは思うが、私はあの浮かれた雰囲気が嫌いだった▼トレンディドラマでは、主人公がツアーコンダクターをしていて、湾岸の高級なマンションのベランダで、海風にあたりながら冷えたビールの入ったグラスを傾けていた。会社員をしているだけでそんな暮らしができるとは、今なら思わない▼バブルがはじけ、やっと等身大の時代が来たなぁと感じたのは、「若者のすべて」というドラマを見た時。主人公たちは、川崎の小さな町工場が並ぶ界隈で育った幼なじみ。家庭や、結婚、受験などで悩む姿は現実味を帯びて迫ってきた▼最近では、「1か月1万円生活」をしている番組が面白かった。タレントなどが、いかに節約して1か月間過ごせるかを競うのである。貧乏の代名詞(?)劇団員が主人公のドラマ「下北サンデーズ」は見ようによっては貧乏自慢だ▼テレビは時代の鏡。現実の世界では「ワーキングプア」という新しい貧困の形が深刻な影を落としつつある。働いても働いても豊かになれないという貧困層が生まれているというのだ。一方で、バブルの置き土産のような金持ち自慢をしていた有名美容整形外科医の娘が誘拐されるという事件も。やはり貧富の格差が拡大しているのか。嫌な国になりつつある、と感じる。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)7月23日《第628号》

私は幼いころ身体が弱かったので、日常的に薬を服用していた。食後、いつも母は「ハイ。もう30分以上たったよ」と言って、私に薬を手渡した▼大人になって初めて、この服用の仕方が間違っていることに気がついた。自分で医者にかかるようになり、医師や看護師にいつも「食後30分以内に飲んで下さいね」と言われ、ハタと気がついた。母はずっと勘違いしていたのだ、と。私がそのことを指摘すると、母は「そうやったかなぁ」ととぼけていたが、私は当時の母のセリフを今も覚えている。「30分以上たたんと、薬がウンコと一緒に出てしまうけんね」▼食後30分以内に薬を飲む、そのココロは、食物の消化が活発に行われているため、薬の吸収がよくなり、胃が薬で荒れることを防ぐ、のだ。しかし、母の頭の中では、せっかく飲んだ薬が食べたものとゴチャマゼになって、腸から肛門のほうに向かっている…、という図が出来ていたのだろう。当時のお医者さんも「30分以内に」と言っていたはずだが、母の耳には入らなかった▼思い込みとは恐ろしいものである。看護師さんに「きょうは、よく水分をとるようにして下さいね」と言われたお母さんが、赤ちゃんに水分を全く与えず、死なせてしまったという話を聞いたことがある。「とる」の意味を勘違いしたようだ。最近では、男性のウエスト85センチ以上は内臓脂肪の蓄積でアブナイという話。厚生労働省から出てきた話だが、海外の学会ではこの基準を見直す動きもあると聞く。ホントはどうなのだろう。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)7月9日《第627号》

今年もアパートのベランダで、きゅうりを育てている。窓づたいにツルを伸ばして、日除けのための緑のカーテンを作ろうというのだ▼今年で3年目。アサガオやゴーヤーでも試したが、きゅうりが一番、緑のカーテンには向いているようだ。昨年は不格好だが実がつき、初めて自分で作った野菜を食べ、小さな感動を覚えた▼今年は「元肥」に油かすを使ってみることにした。後半、きゅうりが栄養不足に苦しんでいるように見えたからだ。分量が分からなかったので、適当にプランターの底に敷きつめ、上に土をかぶせ、種をまいた。通常は、2〜3粒まいて、1本だけ残すようだが、間引くのがかわいそうなので、最初から1粒ずつまいた▼何日かするとプランターの周辺から何かが腐ったような、ウンコのような匂いがし、部屋の中にまで漂ってきた。田舎に住んでいた頃、畑の周りでこんな匂いがしていた。あの匂いは、油かすだったのか、と今さらのように気がついた▼この匂いにつられてか、ショウジョウバエなどもプランターにたかっていた。そして、ふとプランターの下の方を見ると、なにやら白い虫が動いている。プランターの底の水はけ口から、ハエが侵入し、油かすに産卵していたのだ。私はプランターの中の様子を想像し、思いっきりブルーになってしまった▼その後、大量の水をまいたので、水はけ口から卵も虫も一緒に排水できた、と、これは私の希望的観測である。今のところ、きゅうりは順調に育っているが、今後どうなるのか、怖くもある。

▲ このページのTOPへ ▲


2006年(平成18年)6月25日《第626号》

もう外が明るくなっているのに気づいて、しまった…と思った。時計を見ると午前7時前。4時に起きて日本対ブラジル戦を見ようと思っていたのに、目覚ましをかけるのを忘れていた。テレビをつけると、セルジオ越後さんの硬い表情。負けたらしい。それも1−4の完敗▼1993年秋。私は深夜の羽田空港で航空機の機体を洗うアルバイトをしていた。会社を春に辞め、転職を目指したが、秋になっても結果が出ていなかった。この先、自分はどうなるんだろう、という不安が心に渦巻いた▼ゴーグルにカッパという物々しいかっこうで、投光器に照らされたジャンボ機の腹下にもぐり、天井ぐらいの高さにある機体の下をモップでこする。モップの先から、ボタボタと強力な洗剤が顔に落ちてくる。ゴーグルをしていなければ、目を焼いてしまう危険がある。私のような新人がしくじって、救急車で運ばれたという話を先輩たちがしていた▼洗剤をたっぷり含んだモップは、信じられないくらい重く、ズッシリと肩にかかる。腕がだんだん動かなくなると、容赦なく先輩の罵声が飛ぶ。私は歯を食いしばり、「♪アーメリカに行こ〜う、アーメリカに行こ〜う…」という日本代表を応援するサポーターの歌を口ずさんだ。自分を応援するように。「ドーハの悲劇」で本戦出場が遠かったあの年だ▼今大会、日本は世界で一番早く出場を決め、今や目標は本戦で勝つこと、に変わった。今回はステップアップの「踊り場」の年、と考えたい。私も、と気持ちを新たにするのである。

▲ このページのTOPへ ▲