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- カテゴリ: 第797号(2016年1月24日発行)
- 2016年1月24日(日曜)09:00に公開
- 作者: 戸田 照朗
今年は申年 猿にまつわる場所を訪ねて
神使浅間神社の猿
今年は申年(さるどし)。ということで、市内で猿に縁のある場所を探してみた。
小山の浅間(せんげん)神社の参道石段の真ん中辺り。本殿に向かって右側に猿の石像がある。これは浅間神社の神使(しんし・眷属神=けんぞくしん)が猿であるためだ。像は大きな口を開けて、左手で何かを食べている。今年が申年であるためか、既に黒くなっていたが、バナナやドングリ、飲料、飴などが供えられていた。
神使は読んで字のごとく、神意を伝える神の使い、もしくは神の同族、従者で様々な動物が神使となっている。一番馴染み深いのが稲荷神社の狐。こちらは神使というより、狐自体が信仰の対象となっている。弁天様は蛇。市教育委員会の入っている京葉ガスビルに隣接する池田弁財天には、多くの蛇の置物が奉納されている。ほかには、天満宮の牛、八幡宮の鳩、伊勢神宮の鶏、厳島神社の鹿、諏訪大社の鶴、大黒天の鼠など、様々な動物が神使となっている。
猿は日吉大社でも神使として祀られているほか、庚申塔の台座部分に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が掘られている例などがある。
浅間神社に話を戻すと、浅間(あさま)は火山を意味するという。浅間神社のほとんどは富士山を信仰の対象としている。一部に浅間山を信仰するものもあるという。
浅間神社の総本宮は富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)で、同社の神使が猿であることから、全国の浅間神社の神使が猿になったという。
富士山が申の日に現れたという故事から猿が神使になったとする説や、単に猿が山の使いとしてふさわしいからという説がある。
また、小山の浅間神社の杜は、極相林として県の天然記念物の指定を受けている。極相林とは、日照・気温・湿度等の自然環境に適応できない樹木の淘汰がすすみ、やがて生育に適した植物のみが層位(高木・亜高木・低木・草本)ごとに定着し、長期的に安定した森林のことをいう。浅間神社には、タブノキ等を主体とするこうした植生が今も維持されている。
山岳信仰の神社といえば、根本の松戸市役所と新京成線を挟んで対峙している金山神社がある。同社で猿の石造物などを見かけた記憶がないが、見落としているだけで、あるいはどこかにあるかもしれない。頂上には富士嶽淺間大神が祀られている。
少々強引かもしれないが、猿といって思いつくのは、豊臣秀吉である。
小金城主・高城氏は小田原の北条氏と連合して安房から攻め込んできた里見氏を相模台と矢切(国府台)で2度撃退した。そのような縁(えにし)もあって、秀吉が天下統一の仕上げとして関東に乗り込んできた時には、北条氏に味方をして戦った。
若き小金城主・高城胤則(たねのり)は、小田原城に籠城して戦い、小金城は重臣らが守っていた。小金城は天正18年(1590年)5月5日、矢切の渡しを渡って進軍してきた秀吉の家臣・浅野長吉(のちの長政)の軍勢に攻められ落城した。
小金城があった大谷口には、「血染めの茅(かや)」という小金城落城にまつわる悲しい伝説が伝わっている。小金城の姫が逃げる途中で手足を野山の茅で切ってしまい、真っ赤に染まった。その後、この山に血染めの茅が生えるようになったという。
豊臣秀吉が織田信長から「さる」と呼ばれたという話は、天下をとった秀吉一派が後に作って広めた、というような話を半藤一利さんの本で読んだことがある。信長は部下にあだ名をつけるのが好きで、文献で秀吉が信長から「禿げ鼠(はげねずみ)」と呼ばれていたというのは確認できたが、「さる」と呼ばれていたという記録はないという。いわく、自分が「さる」と呼ばれていたという話を広め、神の使いである猿にあやかろうとしたのではないか、というのである。