上本郷の七不思議

松戸に伝わる不思議な話の中から有名な上本郷の七不思議を紹介します(松下邦夫「松戸の歴史案内」他参考)。

上本郷の七不思議の地図

斬られ地蔵

むかし、上本郷の覚蔵院境内で盆踊りがあった時のこと、見知らぬ大男がひときわ見事に踊っていた。娘たちはすっかり見とれてしまい、村の男たちは面白くなかった。酒が入っていたこともあり、村一番のけんか早い男が刀でその男を斬り付けたところ、不思議なことに火花が散った。そして、大男は悲鳴をあげて暗闇の中に消えてしまった。翌朝、村人が後片付けに訪れると、境内の石地蔵の胸に生々しい刀傷が残っていた。「昨夜の大男はお地蔵様だったのか」「これは大変なことをした」と、みな震え上がり、地にひれ伏してあやまった、という。

覚蔵院は明治神社の隣にあったが、今はなく、お地蔵様は本福寺境内に移されている。見ると、胸に袈裟懸けに刀傷のような跡がある。

本福寺本堂からは、同じお地蔵様を彫った木版が見つかっており、佐藤徹住職は「お地蔵様は昔から本福寺にあったのでは」と話している。

木版には、安産、子育てにご利益があるとされる延命地蔵菩薩を本尊とする栃木県の城興寺の名前が記されている。

 

ゆるぎの松

むかし、上本郷の花台に樹齢200年の枝ぶりのいい松があった。近くを通りかかった水戸の黄門さまが、松の幹をなでると、まるで生き物のようにゆらゆらと揺れ動いた。黄門さまは松に「ゆるぎの松」と名前をつけたという。

この松は大正の末頃枯れて、その後は根だけが残っていた。

国道6号線沿いのJAとうかつ中央の前を少し松戸方面に歩き、左に入る道をゆくと坂になり、小高い丘の上に墓地がある。墓地に登る階段の前、道端に「上本郷七不思議 ゆるぎの松 待つ馬の坂 胎蔵院跡」と記された石碑がある。また、墓地の中に地元の人が建てた「上本郷七不思議の一にして大正十三年八月二十四日夜樹齢つき倒る」と記された、揺の松遺跡の碑がある。

 

風早神社の大杉

むかし、風早神社の境内に周囲3メートルもある大杉があった。その影は長く伸び、二ツ木まで達していた。二ツ木村では、この杉の陰になる田は実りが悪く、巫女にお伺いをたてたところ、風早神社に収穫した米を奉納するように、とのお告げが出た。そこで米を奉納したところ、米がよく採れるようになった。以来、米の奉納は毎年行われるようになったが、ある年奉納を怠ったところ、米の出来が悪くなり、再び奉納を続けるようになったという。

二ツ木ではこの話は少し違った形で伝わっている。大杉の影になった田は「大杉のお蔭」で実りが良く、その米を神社に奉納していた。ある年、奉納をしなかったら、風早神社が大火事に遭ったので、これはいけない、とまた奉納を続けるようになった。

大杉は慶応年間(江戸時代末)に枯れ、明治30年頃までそのまま立っていた。鳥居の左側、水準点のあたりに立っていたらしい。社殿の裏に個人が奉納した標柱があり、杉の若木が植えられている。

 

二つ井戸

北松戸駅前の上本郷の坂を明治神社の方に登っていくと、道の左側に「七不思議ノ一ツ二ツ井戸趾」と記した石碑が建っている。

ここには2つ並んで井戸があり、一方が澄んでいると一方は必ず濁っていたという。また、理由はわからないが、この辺では二つ井戸があるので、他に井戸を掘ってはいけないと伝えられていたという。戦後の区画整理で二つ井戸は姿を消したという。

 

富士見の松

本覚寺の南に松の老木があった。この松は上へ枝を伸ばすのではなく、西へ西へと横に枝を伸ばしていた。同寺は高台にあり、今でも空気が澄んだ日には富士山が見える。松が枝を伸ばしている先には富士山が見え、だれ言うことなく、この松を「富士見の松」と呼ぶようになった。

富士見の松があったのは、本覚寺境内の墓地のあたり。50年前頃までは見事な枝ぶりを見せていたが、マツクイムシにやられて枯れてしまった。切り株は数年残っていたが、昭和58年、崖崩れを防止する工事を行った際になくなったという。

 

八百比丘尼

むかし、風早神社の前の六軒新田(現在の上本郷駅あたり)に住む6人が、長者屋敷の庚申講に呼ばれた。どんな料理が出るのか気になった1人が先に行って屋敷の台所をのぞくと、なんと人魚を料理していることが分かった。6人は相談して、料理には手をつけず、帰りに捨ててしまおうということになった。ところがその中の1人は、耳が遠く肝心なところを理解しておらず、人魚の肉を持ち帰り、娘に食べさせてしまった。

娘はいつまでも年を取らず若いままで、周囲から気味悪がられた。地元に居辛くなった娘は比丘尼となって各地を転々とし、若狭の国にたどりついた。後にこの地方を旅した千駄堀の人が800歳になった年老いたこの比丘尼に出会ったという。

 

官女の化けもの

むかし、雷(いかずち)神社が祀られていたいかずち山に官女の化けものが出て人々を驚かせたという。官女の化けものは緋(ひ)の袴(平安時代に宮中で女性が下衣として着用した赤い袴。現在でも巫女装束として用いられる)をはいていた。 いかずち山の位置ははっきりしないが、龍善寺の付近だったらしい。この山を所有した人は家運が傾いたと伝えられる。雷神社と刻んだ石が明治神社に奉納されている。