ところで、子どもだったころ、時間はとてもゆっくりと流れていました。学校の1時間の授業(多分、45分くらいだったと思いますが)がとても長く感じられました。1日だってとても長かった。1年ともなると、はるか未来のように感じられ、大人になる20年、30年後となると、想像もできないほどの未来でした。ところが今は、1時間はあっという間。1日も1年も大した長さには感じられません。もっと歳をとれば、もっと時間が経つのは早くなっていくのでしょう。
つまり、人間は一生の中で時間の速さが変化するんですね。
これは、体の新陳代謝が関係していると聞いたことがあります。成長が速く、細胞分裂が活発な子どものころは時間がゆっくり流れ、成長が止まり、細胞分裂がゆるやかになってくる大人になると時間は速く流れる。
猫は人間の数倍の速さで成長し、年老いていきます。だいたい20年生きるとして、人間の90歳から100歳くらいでしょうか。
人間から見ると、猫の一生は短く感じられますが、猫にとっては1日がとても長く、1年は気が遠くなるくらい長い時間に感じられるのかもしれません。
オオスズメバチの一生を描いた「風の中のマリア」という百田尚樹さんの小説があります。昆虫界最強のハンター、オオスズメバチの働き蜂として生まれたマリアの波乱に満ちた一生が描かれますが、その生涯はひと夏だけ。しかしその生涯は私たちのそれと同じくらい、いやそれ以上に中身の濃いものです。昆虫にとっての1分1秒は、私たちが感じるよりもっと長く密度の濃いものなのかもしれません。
反対に、人間より長生きする樹木の時間はどうなのでしょう。ひょっとすると数千年を生きる屋久島の縄文杉にとっては、1年はほんの短い一瞬なのかもしれません。つまり、太古の昔から今までは大した時間ではないように感じているのではないでしょうか。
人間は数十年の一生の中で結果を出そうとします。そのためには、破壊的な開発もいとわない。縄文杉からすると、なにをそんなに急いで無謀なことを、と感じられるかもしれません。
人間より短い一生を生きる猫は結果など求めずに寝て過ごしています。だから私たちは猫の寝姿に、こんなにも惹かれるのかもしれません。
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