SF体質

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どうも猫語をしゃべっているような気がしてしょうがない

 新聞で映画を紹介するときは人間ドラマを中心に、良作を紹介しています。
 でも、休日などに個人的に趣味で見る時は、SF&ホラーものが多くなります。最近は海外のドラマをよく見ています。
 「スーパーナチュラル」に「フリンジ」など。古くは「V(ビジター)」「ツインピークス」「Xファイル」など。
 もとも科学番組が好きで、SFもその延長線上にあります。以前は(いや、最近もかな?)SFという分野を下に見る傾向がありましたが、小説でも映画でも社会的に重要なカテゴリーだと思っています。私が小学生の頃、クローン(遺伝子工学)もコンピューターもロボットもSFの世界の物でした。頭の固い学校の先生などは、私がSF小説を読んでいると、「漫画を読んでいるのと変わらない」と批判めいて話したものです(当時は今と違い漫画に市民権がありませんでした。ドラマの「ゲゲゲの女房」でも出て来ましたが、「悪書追放」の名のもとに、多くの漫画家が批判の対象となったのです)。
 良質のSF作品には必ず文明批判と、科学技術最優先の社会への警鐘がありました。つまり、未来社会への警鐘です。文学として、大切なことではありませんか。そんなところも広く見てほしかったのですが…。
 私に夢見がちな側面がるのは確かです。猫たちを見ていると、どうしても未知なる可能性を見てしまう。例えば、人間の気持ちがすごくわかっているのではないか、とか。実は言葉を理解し、猫語でしゃべっているのではないか、とか。
 やっぱりSF体質なんですね。

沈思黙考しているような気がする。考えるニャンコ?


 


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