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狂いだした日常の中で気づいた自分の気持ち

硝子の葦 桜木 紫乃 著

硝子の葦の写真新潮社 1600円(税別)

 先日直木賞を受賞した「ホテルローヤル」よりも前に書かれた作品。ホテルローヤルは釧路湿原を見下ろす高台に建つラブホテル。7篇からなる連作短編集で、ホテルの誕生から終焉までが描かれていた。忘れ去られたような寂れたラブホテルにも、いい時もあれば、悪い時もあり、そこには人の想いの欠片がつまっているという、なんだか切なさの残る作品だった。

 本作「硝子の葦」にも同名のホテルが出てくる。立地などは同じだが、経営するのが主人公・節子の年の離れた夫・幸田喜一郎であるという点が違う。喜一郎は節子の母の愛人だった男で「金と暇をやるから好きに生きてみろ」と言われて結婚した。喜一郎の結婚は3度目で、ほかにも愛人が何人もいたような男だ。しかし、それほど嫌な感じがしないのは、次のような彼のセリフからくるものだと思う。

 短歌会で歌を作っている節子に、喜一郎はしきりに歌集をまとめることを勧めた。

 「一度ちゃんと自分の書いたものと心中してごらんよ。そうしないと見えてこないものを見て、後のことはそのとき考えればいいじゃない」。

 「硝子の葦」も喜一郎がつけた歌集の名前である。

 節子が心の安住を求めるのは前の恋人でホテルの会計を担当している税理士の澤木昌弘のようだが、喜一郎に全く何も感じていなかったのかどうか。恐らく、この辺がこの作品の深いところで、大人の世界過ぎて私には入っていけない感じがする。

 こう書いていくと恋愛小説のように思われるかもしれないが、一応サスペンスである。冒頭から厚岸(あっけし)にある節子の母が経営するスナックが爆発し、喜一郎は交通事故で意識不明になってしまう。そして、スナックの爆発に疑問を持った刑事が澤木に電話を入れるところから物語は始まる。

 夫の事故をきっかけに狂いだした日常の歯車。節子はここから自分でも気がつかなかった本当の気持ちに気づいてゆくのだ。

 ラブホテルや、寂れた港町の風景など、薄暗く湿度が高い感じが漂う作品である。