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大分の田舎町で「太閤様」と皮肉られた女の生涯

日本一の女 斉木 香津 著

日本一の女の写真小学館 1000円(税別)

 インパクトのあるタイトル。書店で見つけて開いてみると、飛び込んできたのは懐かしい大分弁だった。家に帰って読み始めると、私が育った竹田市の言い回しとは少し違うようだ。大分の旧国名・豊後は江戸時代には小藩分立の国となり、今でも地域で微妙に言葉が違う。この小説の舞台となるのは、野津市村(現在の臼杵市野津町)。曾祖母サダが死んだ翌日に生まれた菜穂子は、曾祖母とはどんな人だったのかとずっと気になっていた。親族はみな「町の鼻つまみもの」だった曾祖母のことを良くは言わない。32歳になった菜穂子はお盆に行われる曾祖母の三十三回忌法要を前に東京から帰省していた。家の近所を散歩していて、ふと立ち寄った菩提寺で住職と出会い、期せずして曾祖母の話を聞くことになる。

 サダは臼杵の穀物商・真州屋の長女として生まれた。サダの祖父は放蕩(ほうとう)者だったが、父は真面目な人で、祖父のために傾きかけた商売を持ち直させた。臼杵の商人はケチだという意味で「アカネコ」と言われるが、これは裏を返せば堅実だということだろう。遊び人で浪費家の祖父は町の人からも笑われていたが、顔がいいのだけが取り柄だった。サダの兄も祖父に似て、キリッとした美男子である。サダと1歳違いの妹も父と母のいいところだけをもらって美しい顔をしており、しかも気立てがよかった。

 港町の臼杵に対して、野津市村は山の中の片田舎。農家の一人息子・正一に村長の仲立ちで真州屋から嫁が来ることになった。正一はてっきり評判の別嬪(べっぴん)が来るとソワソワして待っていたが、角隠しの下から現れたのは、まるで猿のような顔をしたサダだった。戦前の日本のこと。今とは違って、結婚式の当日に初めて相手と顔を合わせたのである。

 跡取り息子の兄と、美人で評判の妹に強烈なコンプレックスと妬みを感じながら育ったサダは、生まれながらの負けん気の強さも手伝って、皮肉屋で口が悪い娘に育った。両親はサダにも同じように愛情をかけていたと思うのだが、素直で可愛らしい妹にはどうしても甘くなる。そのことが、サダの妬みをさらに増幅させた。

 サダは嫁いだ先でも負けなかった。無口で面白みのない夫と、サダを快く思っていない姑もやがて、サダの掌中に入っていく。商家の娘らしく、村に精米所をつくると商才を発揮して大繁盛。「野津の太閤様」と皮肉られるまでになった。

 「人は身なりではなく中身」がサダを突き動かすポリシーなのだが、さて、その中身とはいったいなんなのだろう。なに不自由なく育てた息子たちに口悪く言われ、「だれのお陰で」と怒り渦巻く心中をかかえながら、「命」や「哀れみ」「慈しみ」といったものには冷たく、無関心。その人生は秋の色を深めるに従って、孤独感をより増していったように感じる。

 この作品のすごいなぁ、と思うところは、救いのないような主人公の心情を隠しもせず、そのまま書いているところだと思う。安易に読者の「共感」を期待せず、現実に存在した人物像をそのまま見せてくれたようなリアリティがある。そして、人間はやはり、こだわりが少ないほうが幸せに生きられるのかなぁ、と思うのである。

 祖父母、ましてや曾祖父母にいたっては、どんな人生を歩んだのか知るのは難しい。市井の人であれば、なおさら手がかりも少ない。でも、自分のルーツとして果てない興味もわいてくるのである。