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人にとって、人生にとって「〆切」とはなにか

〆切本 左右社編集部 編

〆切本の写真左右社 2300円(税別)

戦時中の満州で三人の少女が出会う。

田山花袋、夏目漱石、島崎藤村、泉鏡花、寺田寅彦、志賀直哉、谷崎潤一郎、菊池寛、吉川英治、梶井基次郎、江戸川乱歩、横光利一、坂口安吾、太宰治、松本清張、大岡昇平、遠藤周作…など、文豪や大家が「〆切」について書いた部分、94編を集めた面白い本だ。

人にとって、いや、人生にとって「〆切」とはなんだろう、という問いを多角的に考えようとしている。

別に作家ではなくても、人はそれぞれに〆切を経験する。仕事には期限があり、業種によってはノルマのようなものもあるだろう。受験だって考えてみれば、試験当日が〆切のようなものである。そして、人の命にも限りがあり、最期の時という〆切も、やがてやってくる。

だれもが経験する最初の〆切は、「夏休みの宿題」ではないだろうか。これを夏休みの終わりまでに、どう片付けるかには、その人の個性が出ると思う。

私の場合、小学校低学年のころは、休みの間、ずっと遊んでいて、甲子園の決勝が終わるころ、やっと手をつけるという感じだった。結局終わらずに、学校が始まって一週間ぐらいは、先生の顔色をうかがいながら、ほとぼりが冷めるのを待っていた。小学校の高学年から中学生にかけては逆に7月中の一週間ぐらいで宿題を片付けて、いかに夏休みを宿題の心配をせずに過ごすか、ということを考えた。ところが、一度も完璧に成功したことがない。ある年、7月中にほとんどの宿題が終わった年があった。あとは、美術の宿題で絵を一枚描くだけ。ところが、ここで油断してしまい、ずるずると描かずに、8月の1か月間は、頭の片隅にどこか「早く絵を描かなきゃな」という思いがあった。特に最後の一週間は「描かなきゃ、描かなきゃ」と思いながらも、なかなか机につかず、とうとう最後の晩に徹夜して描くハメになった。

本書は5章からなる。「Ⅰ書けぬ、どうしても書けぬ」では、主に、いかに〆切が辛いか、という内容の文章が並び、身につまされる。

遠藤周作先生は、タクシーや電車に乗ったり、寝床の中で、毛布を頭からかぶって、半日じっとしていると、小説のイメージが不意に浮かび上がってきたりする。「書いている時よりも、書く前が苦しい」という。

「Ⅱ敵か、味方か? 編集者」は、編集者と作家の関係にスポットをあてている。

「Ⅲ〆切なんかこわくない」では、〆切は必ず守る、守るどころか、〆切の何日も前に原稿を渡すという、優等生的作家が登場する。

ⅡとⅢは私はどうしても編集者の身になって読んでしまう。〆切が過ぎてやっと仕事に
かかったり、〆切は守らず多少遅れたほうがハクがつくみたいに考えている流行作家もいるそうだが、作家とはそんなに常識がないのだろうか。

村上春樹先生は、〆切を守る方で、高校のころ新聞を作っていて、印刷所に出入りしていたから、作家の原稿が遅れると、印刷所の植字工のおじさんが徹夜で活字を拾わなくてはならなくなると知っていて、すぐに原稿を書くのだという。今では活字を拾うという仕事自体、印刷所からはなくなった。デビュー間もないころの話だろうか。

「Ⅳ〆切の効能・効果」「Ⅴ人生とは、〆切である」は、〆切というものをもっと広い観点からとらえている。

作家に原稿を書かせるために、ホテルや出版社の保養所に部屋を用意する、いわゆる「缶詰」の話も随所に登場する。時間があればいいものが書けるとは限らない。火事場の馬鹿力のごとく、期限が切迫して、集中力が増したほうがいい仕事ができることもある。

かくいう私も、それこそ〆切のまっただなかで、この原稿を書いているわけである。先に書いたように、夏休みの過ごし方は一度も成功しなかったのに、なにが因果か、「〆切のある人生」を選んでしまったのである。