松戸の地名の由来(3)

地名はその土地の歴史と深く関係している。地名の由来を知ることは、地域の歴史を知ることでもある。あなたの街の地名にはどんな由来があるだろうか。

 

高靇神社境内にある開墾百年記念碑の写真▲高靇神社境内にある開墾百年記念碑

五香六実 ごこうむつみ

明治維新で首都東京に全国の旧士族が集まり、社会不安の元になっていた。政府は小金牧や佐倉牧に土地を与えて入植開墾させた。

入植順に、初富(はつとみ・鎌ヶ谷市)、二和(ふたわ・船橋市)、三咲(みさき・船橋市)、豊四季(とよしき・柏市)、五香六実(松戸市)、七栄(ななえ・富里市)、八街(やちまた・八街市)、九美上(くみあげ・佐原市)、十倉(とくら・富里市)、十余一(とよいち・白井市)、十余二(とよふた・柏市)、十余三(とよみつ・成田市・多古町)と名付けられた。数字に縁起のいい言葉の組み合わせのものが多い。

 

小山の浅間神社の写真▲小山の浅間神社

小山 こやま

地域の中心に江戸川の開析作用で下総台地から分離した標高25mの小山があることによる。この小山が浅間神社の森である。

 

胡録台 ころくだい

もとは松戸新田・小根本・岩瀬の各一部で、陸軍工兵学校の演習場として利用されていた地域が、第二次大戦後、帰農軍人組合に開放され、後に独立。地名は岩瀬の胡録神社による。

 

 

子和清水の写真▲子和清水

子和清水 こわしみず

常盤平の子和清水交差点にある小さな公園には小林一茶の句碑と伝説を伝える像と泉がある。

むかし、この近くに酒好きな老人が住んでいた。貧しい暮らしなのに、外から帰ると酒に酔っている。息子が不思議に思ってあとをつけてみると、こんこんと湧き出る泉を手ですくって、「ああうまい酒だ」と言って飲んでいた。父の去った後に息子が飲んでみると、ただの清水だった。この話を聞いた人々が「親は古酒、子は清水」と言うようになった。

この場所は、江戸時代に鮮魚を布佐から運んだ「鮮魚街道(なまかいどう)」の途上にあり、往来する人馬の休憩場所として重宝されたという。

 

相模台 さがみだい

慶長元年北条長時が岩瀬の台地上に築城。嘉歴年間には北条相模守入道崇鑑がこの岩瀬城に拠ったことが相模台の地名の起こりという。

 

相模台にある中央公園正門碑の写真▲相模台にある中央公園正門

七右衛門新田 しちえもんしんでん

7人の右衛門によって開発されたことによる。

 

新作 しんざく

北に隣接する地に中世城郭があり、これに関係した城郭施設が設けられたことによるとされる。

 

 

陣ヶ前 じんがまえ

何かの戦いで陣が敷かれた場所という推測が立つ。安房の里見・小弓公方足利義明の軍と小田原の北条氏・小金城主高城氏が戦国時代に戦った相模台の合戦。江戸時代に松戸村を所領とした旗本・高木筑後守の陣屋が近くの小字白山にあったから。江戸時代の将軍鹿狩りの際の小休所の前に相当する場所、などが考えられる。

 

高木 たかぎ

明治11年「郡区町村編成法」が施行され、17年5月、五香六実村、金ヶ作村、日暮村、中和倉村、千駄堀村、八ヶ崎村、栗ヶ沢村が集まって連合戸長役場を置くことになった。22年4月1日、これらの7か村が合併して高木村が成立した。

千駄堀戸長土屋七郎平、副戸長安蒜権左衛門両氏が県へ行って7か村を合併して「高城村」と改名することを申請した。理由は高城下野守(戦国時代の豪族、小金城主・高城氏)の旧領地として由緒深い土地だからとのことだった。県は了承したが、高城の「城」の字を「木」としたほうが字画が少なくていいのではないかと言うので、二人は了解して「高木村」と改名することになった。

 

竹ヶ花 たけがはな

「たけのはな」ともいい、竹ヶ鼻とも書く。地名の花は端(はな)で、台地崖地付近に竹林があったことによるという。

 

※参考文献=「あきら」(グループ モモ企画、足利谷久子編集)、「角川日本地名大辞典」、「松戸の歴史散歩」(千野原靖方・たけしま出版)、「ふるさと常盤平」(常盤平団地自治会編集、常盤平団地30周年記念事業実行委員会発行)、「松戸の寺 松戸の町名の由来 松戸の昔はなし」(松戸新聞社)、「松戸史余録」(上野顕義)、「改訂新版 松戸の歴史案内」(松下邦夫・郷土史出版)、「江戸川ライン歴史散歩」、「二十世紀が丘区画整理誌」(都市部開発課編集・松戸市発行)、「新京成電鉄沿線ガイド」(竹島盤編著・崙書房)、「わがまち新生への歩み」(松戸市六実高柳土地区画整理組合)、「日本城郭体系第6巻」(松下邦夫・新人物往来社)