戦争と原爆第二の語り部に

長崎に中学生の平和大使派遣

 7日から10日まで市内の中学生22人で結成された「平和大使」が長崎を訪れ、平和祈念式典などに参加。平和の尊さを再認識した。「平和大使」は中学生を対象に、長崎市が各自治体に呼びかけ、毎年実施しているもので、松戸市は2008年の初参加以来今年が7回目の派遣。戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを学ぶこと、被爆者への追悼を目的に、長崎ピースフォーラムに参加した。「平和大使」には21校から39人の応募があり、抽選で22人が選ばれた。

市役所で帰庁報告を行う長崎に派遣された中学生の平和大使の写真▲市役所で帰庁報告を行う長崎に派遣された中学生の平和大使

 10日には帰庁報告を行い、22人がそれぞれ感想を述べた。

 第三中学校2年の本間宏明くんは「平和大使を通して以前と平和への考え方が変わった。祈念式典での被爆者代表の話は心と力がこもっていて平和への誓いが本当によく伝わってきた。この話で一番強く感じたことは今でも苦しんでいる人がいるということ。何の罪もない人を苦しめる核兵器は非人道的なものであり、二度と使われてはならないものだと思う。僕たちは被爆者の苦しみを絶対に忘れてはならないと思った。ピースフォーラムで、原爆で母と妹、弟二人を亡くしたという被爆者の話を聞いた。原爆の話は思い出すだけでも辛かったと思う。それなのにお話をしてくれたのは、僕たちが語り継いでくれると期待しているからだと思う。その思いを決して無駄にしないようにしたい。平和活動を行う高校生たちの合言葉に、『微力だけど無力じゃない』というものがあるそうです。僕も大したことはできないけど、少しでも被爆者たちの力になり、平和な世界をつくるために、戦争の悲惨さを多くの人に伝えていきます。そして、僕が伝えた人が平和について考えを深めてくれたらうれしい」と話した。

 第四中学校3年の旗谷吏紗さんは「平和式典で被爆者代表の方が話した話は私の想像を超えるものだった。友達の女の子は原爆が落ちたときケガもしていなかったのに、お母さんになって亡くなったそうです。たった一発の爆弾で人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然あらわれる原爆症で多くの被害者が命を落としていきました。私自身体験していないので、想像するしかできません。でも戦争は繰り返されると思います。私はそうなりたくありません。再び戦争が繰り返されないために、私はこれから戦争を学び第二の語り部をやりたいと思っています」と話した。

 第五中学校1年の宮島加奈子さんは「原爆資料館で見た亡くなった弟を背負った少年の写真(「焼き場の少年」と呼ばれている写真)を見てとても悲しいと思った。ピンポン玉ほどの爆弾でこれほど多くの方が亡くなって、今でも後遺症で苦しんでいる人がいるということは、あってはならないと思う。高齢化が進んで被爆者の方もだんだん少なくなってきた。若い世代がその苦しみを次の世代に伝えていかなければならないと思った」と話した。

 新松戸南中学校1年の斎藤龍秀くんは「被爆者の方の話を通して死に敏感になったと思う。でも、それはいいこと。なぜならば、その恐怖があれば二度と戦争をしようとは思わないからです。僕たちには平和大使としてきちんと伝えていく責任があると思う。それは、僕たちが被爆者の話を聞ける最後の世代だからです。今被爆者健康手帳を持っている方は、全国で20万人以下で80歳に達しようとしている状況だそうです。ピースフォーラムで話し合ったことを生かし、被爆や原爆のことを伝えていきたい」と話した。

 子どもたちが書いた感想文は冊子にまとめられるほか、市のホームページに掲載される予定。