戸定邸庭園、国指定名勝へ

芸術的、学術的価値を評価

 文化庁文化審議会(宮田亮平会長)は、昨年11月21日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、名勝の新指定などについて文部科学大臣に答申した。これにより、旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)はこの春にも出される見通しの官報告示の後に国指定名勝となる予定だ。なお、今回の答申で、指定名勝は393(うち特別名勝は36)件となる予定。

戸定邸庭園の写真▲戸定邸庭園(松戸市戸定歴史館提供)

 戸定邸庭園は水戸藩第11代藩主であった徳川昭武が江戸川に臨む高台・戸定が丘に建てた戸定邸の庭園。戸定邸が座敷開きを行った明治17年から本格的な造園が行われ、20年に拡張工事を行い、さらに23年に2度目の拡張を行い完成した。主屋の南に広がる起伏のある芝生地とその緑辺を彩る植樹や西側傾斜地の豊かな落葉・常緑広葉樹林、眼下に江戸川、遥かに富士山を望む借景は風致に富む景観を構成しており、明治期の庭園の特質をよく表している。その芸術的な価値、日本庭園史における学術的価値が評価されて、答申につながったという。

 建物の軒下まで全面に芝生を張る手法は洋風の芝生の張り方。

 円錐(えんすい)樹形の高野槙(こうやまき)を植えるのは洋風庭園の手法。高台に1本の高野槙を上げるのには150人もの人手と多額の経費を要したという。かつては庭園東側から南にかけて高野槙が木立をつくっていたが、現在は4本しか残っていない。

 庭園の基本構成は座敷棟の床前に座り庭を眺める書院造庭園だが前述のような洋風庭園の技法が使われており、現存するものでは洋風を取り入れた最古の庭園となっている。

 庭園西側、崖沿いには青桐(あおぎり)が木立をなしていた。青桐も高野槙と同様に昭武が情熱を注いだ樹木だったが、現在は2本が残るのみとなっている。

 庭園西側の樹木、樹林の高さは現在よりもずっと低く、松戸の町並みがよく見え、町や江戸川、富士山などと一体感のある庭園だった。
明治20年5月に庭園は南に約45メートル拡張された。西端に東屋があり、楽焼釜や井戸があった。ここでの陶磁器を昭武は「戸定焼」と命名した。釜は失われ、場所も明確には特定できないが、戸定焼は現在まで伝わり、戸定歴史館展示室で展示されている。この庭には芝が張られ、春には桜が咲き誇ったという。文献資料と古写真、測量図面などに基づいて、市ではこの庭の復元を計画している。