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- カテゴリ: 本よみ松よみ堂バックナンバー
- 2015年11月22日(日曜)09:00に公開
- 作者: 奥森 広治
ゆれる心の暗く深い部分を描く
永い言い訳 西川 美和 著
「ゆれる」「ディア・ドクター」「夢売るふたり」などの映画で、揺れる心の暗く深い部分を描いた西川美和監督の小説。この作品も映画化されるのかもしれない。
有名なプロ野球選手と同じ響きの名前を持つ衣笠幸夫は、自分の名前が嫌いだった(広島東洋カープの名選手は衣笠祥雄で字が違う)。4年勤めた出版社を辞めて苦労の末に人気作家になった。津村啓というペンネームは彼にある種の逃げ場と別人格を与えたのだろうか。今ではテレビのクイズ番組やコマーシャルにも出演する人気作家だ。
しかし、会社を辞めてすぐに売れたわけではない。10年間は美容師の妻・夏子に食べさせてもらった。思えば、この売れない10年間が夫婦にとっては一番幸せな時間だったのかもしれない。
成功に導いてくれた妻。しかし10年も食べさせてもらったということが負い目となり、妻への感情をこじらせてしまった。多くの場合、作家の妻は一番の読者である。夏子も幸夫の草稿を読んで、他者では気がつかないような点を指摘し、それは時には厳しいものになっていたかもしれない。
夫はだんだん書いたものを妻に見せなくなり、妻の方も美容室が軌道に乗って、夫のような虚業を生きているのではない、自分は地に足がついた仕事をしているという自信を深めていた。
そんなある日、妻は親友と出かけたスキーバス旅行で事故に遭ってあっけなく死んでしまう。幸夫は、葬式で泣くことができなかった。淡々と物事を進め、現地で火葬にしてしまった。美容室の従業員からは、二人が冷め切った夫婦だと見抜かれていて、なぜ知らないうちに火葬にしてしまったのかと責められているような気がしてならない。
バス事故は大きく報道され、作家としての津村啓は世間から愛する妻をうしなった悲運の人気作家と見られている。幸夫の心の中とは裏腹に。
やがて幸夫は、妻とともに亡くなった親友の家族と親しくなり、遺された二人の子どもとその父親が幸夫の心に大きな変化をもたらしていくことになる。
作品に引き込まれながらも、読んでいて嫌になるのは、幸夫の嫌な部分がみんな自分に似ている気がするからだ。身勝手で、ご都合主義で、他者にレッテルを貼って見下し…、と本当に嫌になる。
最近読んだ村上春樹の「職業としての小説家」(文藝春秋)にこんな一節があった。
「小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところまで降りて行かなくてはなりません」(P175より引用)
西川美和はいい作家だと思う。