松戸周辺の城跡を訪ねて(3)

 

松ヶ崎城の構造図

柏市 松ヶ崎城

以前、柏市内の寺社を訪ねる取材をした時に同地を訪れたことがあったが、今回行ってみると城跡公園としてきれいに整備されていた。当時は城跡との意識もなくこの台地を眺めた記憶がある。台地下に廃寺となった寺らしき跡があり、民家の間の小道の先に細い階段があり、登ると、しめ縄のかけられた「松ヶ崎湧水」があり、さらに登ると小さな祠(ほこら)跡のようなものがあった。その先の台地上が城跡だったわけだ。「東葛の中世城郭」(千野原靖方・崙書房出版)には「腰曲輪には、『三郡境の不動様』と呼ばれた不動尊堂があったが、1995年に焼失したという」とあるから、この祠の跡のような場所はその一部なのかもしれない。

 

 

大曲輪の写真▲大曲輪 古墳(円墳)を利用した物見台の写真▲古墳(円墳)を利用した物見台

台地上にはいくつかの案内板が出ていて、曲輪や土塁、堀、虎口、物見台、腰曲輪の位置が分かるようになっている。また、柏市教育委員会の次のような説明書きがある。少々長いが引用させていただく。

「松ヶ崎城跡は、手賀沼を見渡す台地の先端部に造られた戦国時代の中世城館跡で、城主は不明ですが、戦国時代の15世紀後半から16世紀前半頃には造られていたと考えられています。

『城』というと、普通は姫路城や大阪城のような天守閣と高い石垣をもった城のイメージですが、このような城は織田信長の安土城に始まるものです。中世の城は、天守閣や本格的な石垣はなく、土塁・堀と木造の建造物から造られています。

 

 

 

 

虎口の写真▲虎口 堀の写真▲堀

県内では約1000ヶ所の中世城館跡が確認されていますが、破壊されたものも多く、保存状態のよいものでも、その多くは土塁と堀が残る程度です。

松ヶ崎城跡の所在する手賀沼西端の北柏周辺地域は、近年、交通・物流史の視点から、水上交通と陸上交通の要衝(ようしょう)として注目されています。中世以前の手賀沼は、今よりも広く、松ヶ崎城の眼下まで及んでいたと考えられ、この場所は、茨城県側の菅生沼(すがおぬま)や牛久沼、千葉県側の手賀沼や印旛沼が霞ヶ浦や北浦と一体となって形成していた内湾(ないわん=香取の海)の最西端にあたります。この手賀沼西端地区には、中世の館跡や町場跡が確認された中馬場(なかばば)遺跡や法華坊遺跡があり、隣接する我孫子市根戸城跡などと共に、柏の歴史だけでなく中世史解明の上でも非常に興味深い場所です」

 

 

 

 

祠のような跡の写真▲祠のような跡 松ヶ崎湧水の写真▲松ヶ崎湧水

「戦国時代からは少し前になりますが、香取神宮文書の応永25年(1418年)の記録には、遷宮に伴う仮殿の屋根に葺(ふ)く厚板である瓦木を「御かわらの木、相馬松崎にてとり申候」という記述や、それを船で運んだ記述があります。

このことから、当時の松ヶ崎には松材を採取するほどの松林があったこと、そしてそれを船で香取神宮まで運び出せる環境にあったことが分かります」

「手賀沼へ注ぎ込む大堀川と地金掘(ぢがねぼり)が合流する舌状(ぜつじょう)台地の先端部に位置し、手賀沼側から見ると沼の最も西側にあたります。

これまで一部の研究者には土塁・空堀で囲まれた単郭方形(たんかくほうけい)の城館跡として知られていましたが、当時の古文書や記録などにこの城の記載がなく詳しいことは分かりませんでした。

 

 

 

松ヶ崎城跡のある台地の写真▲松ヶ崎城跡のある台地 大堀川の写真▲大堀川

平成14・15年度に城跡の測量及び遺跡の状況を確認するための発掘調査(確認調査)を実施した結果、曲輪(くるわ=郭)、土塁(どるい)、空堀(からぼり)虎口(こぐち)、土橋(どばし)、物見台(櫓台=やぐらだい)などの諸施設や、門跡、柵跡、溝などの地下遺構が台地全体に良好に残されていることが明らかになりました。その際に出土した陶器(常滑焼=とこなめやきの甕=かめ)・土器(すり鉢・土鍋など)からは、松ヶ崎城は戦国時代の15世紀後半から16世紀前半頃には造られていたと考えられます。

また、中世ばかりでなく縄文・古墳・平安時代の遺構や遺物も確認され、長期にわたり人々の生活があったことも知ることができました。

 

 

 

 

 

松ヶ崎城周辺図

この発掘調査の結果や近年の周辺遺跡の調査成果を受けて平成16年に柏市指定文化財として指定し、『手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会』や土地所有者のご理解ご協力のもと、平成21年1月から柏市で借地し、公開することとなりました」

柏市の説明では、城の主は分からないとのことだが、前出の「東葛の中世城郭」には「松ヶ崎城の築城の時期はともかくとして、この応永期以降、同城に拠っていたのは、高田を中心として大堀川流域に地盤を広げていた匝瑳(そうさ)氏であった可能性が高いといえよう」とある。