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- カテゴリ: 城跡探訪
- 2016年6月26日(日曜)09:00に公開
- 作者: 戸田 照朗
松戸周辺の城跡を訪ねて(5)
流山市 花輪城
流山市街の流山街道を北上すると、左手に流山市消防本部、さらに東葛病院がある。街道を挟んで、東葛病院の向かいに「花輪城址公園」がある。公園になっている部分は城跡のほんの一部で、城跡の真ん中を流山街道が貫通している。流山市教育員会が立てた公園内の説明版によれば、発掘調査により、台地を東西に区切る深さ3メートルの空堀と土橋が発見され、2つ以上の郭(くるわ)が連続する城郭形態(直線連郭式)の一部が明らかになったという。
小金城の高城氏の家臣花輪淡路守の城とも、平本定虎という武将がこの地を領有していたとも伝えられる。この城は小金城が豊臣方に攻められ落城した時に属城としてなくなったとされている。
その後、城跡に観音堂が建てられた。飛騨の匠が難破した船の木材を使い、カンナを使わず、釘を一切使わない特異な建物だったという。この堂はもともと県道付近に本堂があった真言宗西福寺の境内にあったという。
今は基壇(きだん)と礎石(そせき)が残るだけだ。本尊は等身大の観音菩薩立像でこの小山を琵琶山と言ったことから「琵琶首観音」ともいう。現在は、桐ヶ谷の西栄寺観音堂に安置されている。我が国の仏師の祖として仰がれる名匠、平安時代の仏師定朝の作とも伝えられる美しい仏像だ。
「朝寝坊観音」の異名があるこの観音様には言い伝えがある。
むかし、この観音堂の近くに2人の乞食が住み着いて、いつもお供え物を盗み食いしていた。慈悲深い観音様はとがめることもなく、それを見ていた。ある日、近くで結婚式があったので、観音様の前にはお酒やごちそうが供えられた。2人の乞食は夜から観音様の前で宴会を始めてしまった。しばらくその様子を見ていた観音様も我慢しきれなくなり、仲間に入って酒盛りを始めた。飲み慣れない酒を飲んだ観音様は、寝込んでしまった。ふと気がつくと朝日が差し込んでいる。きょうは天上界で下総の観音様が集まる大事な会議がある日。観音様はあわてて飛び起き天上界に行ったが、もう既に2時間も遅刻してしまっていた。しかし、村人たちはこの慈悲深い、心のあたたかい観音様のことを益々敬うようになったという。
※参考=「流山の旧史旧跡」、「流山のむかし」(流山市教育委員会)、「おの・ちゅうこう 昔ばなし 流山・野田の巻」(おの・ちゅうこう・崙書房出版)