9月28日午前11時に都市計画道路3・3・7号線から続く関さんの森の新設市道が開通した。
開通に先立って行われた開通式典に地権者の関さん姉妹の姿はなかった。どうも道路標識の件で市ともめたらしい、という話を現場で会った知り合いの記者から聞いたので、式典の取材の後で関さん宅を訪ねた。
式典に出なかった理由はちょっと違っていた。
関さんの家と庭にはたくさんの猫がいる。猫たちは邸宅と庭と森を自由に行き来してきた。森の外から通ってくる猫たちもいる。静かだった森の中(子どもの遊び場と言われたグランドと梅林)に道路ができて車が通るようになって一番びっくりしているのは猫たちだろう。当然交通事故に遭う猫も出てくるだろう。
「私が(道路を作るということを)決断したために失われる命。とても祝う気持ちになれない。テープカットに参加するなんて…」。市の方からは再三式典に出るようにとの要請を受けていたが、もう何日も前から関さんは式典に出ないことを決めていたという。
開通の日は、関さんにとっては猫たちの交通事故に怯える日の始まりなのである。
動物の飛び出しに注意するよう、手作りの看板がいくつか用意されたが、ドライバーたちは気づいてくれるだろうか。ここを通る方には是非スピードを落として、猫の飛び出しに注意しながら運転することをお願いしたい。
開通を拍手で祝う人たちもいたが、私も関さん同様に暗い気持ちで一連のイベントを眺めていた。
式典に出席した本郷谷市長はじめ市の職員の顔ぶれは、関さんの森の道路問題が過熱したころとはほとんど変わった。
式典の後で、退職した市の元幹部に会った。彼は当時関さんとの交渉の先頭に立ち、最初に市の暫定道路案(現在の道路に近い案)を提案した人だ。彼は責任者に就任した時と同じように関さんのお父さんの墓にお参りをしてきたという。
「この道路が曲がっていることをいろいろと言う人もいる。そういうのを聞くと、何を言っているんだ、と言ってやりたくなる」と彼は話した。
道路問題が解決に向かった後もいろんなことを言う市議などがいた。そんな時私も同じ気持ちになった。
この曲がった道は、関さん姉妹や関さんの森を育む会の人たち、森を守るために活動した多くの人たち、そして元市長(川井敏久氏)、市の職員たちが苦労に苦労を重ね、知恵を出し合ってたどり着いた結果なのだ。そこには亡くなられた関さんのお父さんや3姉妹の一人、睦美さんの気持ちも入っていると思う。(戸田照朗)